未体験の大変動が起こる
さて、人が自分の職業や自分の生き方について懐疑心を抱く時は、もちろん、曲がっている時である。いままでやってきた仕事がどうにもうまく行かなくなってきた時である。
そういう時は、外界の情勢に無関係に、自分だけうまく行かない場合と、世間一般がそういう環境になっていて、うまく行かないのは自分ひとりだけでない場合と、二通りある。お隣を見ても、同じようにうまく行かない状態の時は、「難しい世の中になったねえ」といってお互い慰め合うことはできるけれども、うまく行かなかったり、倒産寸前まで追い込まれたりする点では同じだから、どう対処するか、決断を迫られることに変わりはないのである。
最近の経済状勢は、社会全体の流れに大変動が起こっているところだから、成り立たない商売や職業が続出しており、お隣を見ても、お向かいを見ても、「自分は選ぶ職業を間違えたのではないか」と首をかしげあっている時期といってよいであろう。
こういうサイクルは、歴史をふりかえってみると、五、六十年に一回くらいある。歴史は常にくりかえす、というわけではないが、少なくとも過去百年間には、二回くらいそういう時期があり、今回も入れれば、三回目ということができる。日本でいえば、一八六八年、即ち今から百十五年前に明治維新がおこった。政治的変動が起これば、直ちに経済的変動につながるというわけではないが、三百年続いた政治体制が崩壊して、新しい体制ができるに従って、士族階級は糧道を断たれ、お金の流れは一変した。
つづいて一九二九年に世界的な大恐慌が起こった。日本ではそれより二年早く鈴木商店の倒産に端を発した金融恐慌が起こっており、やがて浜口雄幸(おさち)狙撃事件、犬養毅暗殺事件と次第にエスカレートして満州事変、中日事変、大東亜戦争へと発展して行く。その底流に世界的な経済の変化がある。
たとえば、マルクスが資本論の第一巻を出版したのが一八六七年で、明治元年の一年前であるが、マルクスの資本論はロンドンの貧民窟に住んでいた人々の生活状態からヒントを得て書かれたものだといわれている。その当時は、産業革命の進行によって、従来の手工業的な経営から工場生産への移行が見られ、店主や職人は、資本家と労働者に分離して、やがて資本家が労働者をやとって生産の果実は資本家の手に集中するという動きを見せた時代であった。そこで、マルクスは労働者は搾取されて貧困化し、富は資本家の下に集まって不況が到来し、資本主義は崩壊するという予言をしたのである。しかし実際には、鉄道や汽船の開発によって交通手段は発達し、さらに鉄鋼業などの重工業の技術革命が起こって、資本主義はさらに半世紀、主としてイギリス主導の下で繁栄し、そして、一九二九年の世界大恐慌を迎えたのである。
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