もとより変動は集中豪雨的にやってくるわけではない。小さな工場で三人、五人と不必要になる人が、定年とか、定年くり上げとか、あるいは、人事異動拒否などで、静かに退職して行く。
ちょうど、川の上流で小さな雨を集めてせせらぎとなり、それが下へくだるにしたがって次第に大きな流れになって行くようなものである。だから一つ一つを見たらたいしたことではないが、十年という期間を限って全体の統計をとれば、工場から何百万人という人が消え、社会全体が大きく変わってしまったことがわかるであろう。
何しろ、わずかの人員だけで工場が動かせるし、物がドンドンつくられて行く。しかも夕方の退勤前に機械の調整をし、スイッチを入れておけば、朝になると製品が山積みになってできているということが現実におこるのだから、工場生産に対する私たちの通念は大幅に修正されざるを得ない。
たとえば、一つの工場を週に六日動かすかそれとも五日動かすか、といった議論は成り立たなくなる。また工場といえば、朝八時にはじまって夕方は五時に終わるんだ、といった要求も出せなくなる。人がいなくとも工場は生産をするのだし、何時にはじまろうと、何時に終わろうと関係がないようになる。だいいち、毎日、動かしていたのではたくさんできすぎて、困るということも起こってしまうのである。したがって、一番大切なのは工場を動かすことではなくて、
(一)何をつくれば売れるのか。
(ニ)どの商品をどれだけつくればよいのか。
(三)商品を売るのにはどうすればよいのか。
といった決定をすることであり、商品企画や市場分析や販売促進が生産そのものよりもずっと重要になってくるのである。
したがって工場にとって大切なことは、いったんつくるときめた商品の生産工程をどういう具合にすすめれば、より効率的にできるかを工夫することであり、それさえきまれば、あとは必要数量をつくりあげるのに、今週は何日工場を動かせばよいかをきめることになる。つまり工場とは、週何十時間の労働をしに行くところから、需要によって週何日稼動させるかをきめるところに変わり、「これだけ手当をくれなければオレは働かないぞ」と声高に叫ぶのは、場違いということになってしまうのである。
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