レコード会社というと立派そうに見えるが、実質は出版社と同じく、企画の仕事が大切で、どんな歌をどんな歌手に歌わせるか、企画を立ててテープにとるだけで、大半の仕事は終わってしまい、あとはレコードの盤をつくる仕事は下請けに出してしまう。もっと極端な言い方をすれば、テープにとる仕事さえも人にやらせてそれを採用するかどうか、きめるのがプロデューサーの仕事という場合もあり、あとは如何にしてヒットさせ、ベストセラーズに仕立てあげるかが残された仕事なのである。
それならば、プロの連中が集まってつくっているのだから、つくる片っ端からベストセラーズになっているかというと、どこでどうして大流行をするのか、ご本人たちにも皆目わからないのだから、組織も経験も実のところあまりあてにならないのである。それでいて、無意識のうちに、組織と経験に頼るようになり、全国的な販売組織を会社単位で持つようになったのだから、製造原価は安いものであっても、高い定価をつけなければ採算のとれない商売になってしまったのである。
そういうところへ貸レコード屋からドスをつきつけられたとなると、それに対応する方法は自らきまってしまう。まず、
(一)レコードの売価をテープにとってもひきあわないくらいの値段まで引き下げる。
(二)レコード・メーカーは貸レコード屋にマザー・レコードを売る商売に限定し、一般のレコードは発売しないようにする。
(三)自ら貸レコード屋になって、町の貸レコード屋と競争関係に立って、貸レコード屋を駆逐する。
(四)自然の動きに任せて、レコードの売上げ枚数の漸減に耐え、経費を節約し、企業規模を縮小する。
以上の対策くらいのことしか考えられず、そのどれも受け容れられないとすれば、あとは倒産の時期が来るのを待つということになってしまう。おそらく既存のレコード会杜はその体質から見て、(四)の道を辿ることになろうが、次に現われるレコード会社は(一)の道を選ぶことになろう。
それは、出版社に机一つ、電話一本の群小出版社があるのと同じ理屈であり、企画をして売るだけなら、たいして資本もかからないし、経費も少なくてすむからである。ただ出版界には群小出版社を成り立たせる日販とか東販とかいった配本会杜が介在しているが、レコード界にはそれに相当するものがない。大きなレコード会社は各都道府県別に販売のための支店機構を持っており、群小の中にはそうしたレコード会社に委託販売を任せているものもあるが、同業者に委託するのと、専門の流通業者があってそれに委託するのとでは、当然、勝手が違ってくる。したがって、全国的に販売網を持ったレコード会社がレコード配給会社に転進し、レコード会社は販売経費をかけないということにすれば、LPレコードは一枚一〇〇〇円か一二〇〇円で採算がとれるようになるのではあるまいか。そうすれば、群小レコード・メーカーが輩出し、音楽の世界は今よりずっと賑やかなものになることも考えられる。
しかし、こういう予想は利害関係のない第三者には可能でも、渦中にある人々にとってはとんでもない話ということになろう。ということはつまり、レコード業界も選手交替の時期に来ているということになる。
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