スーパーが街を変えた
ではなぜ小売商なら転身できたのであろうか。まず考えられることは、小売商が転身したのではなくて、三十五年前、二十五歳から三十歳までくらいだった人が兵隊から帰ってきて、あれこれと新しい商売を試みた末、「時代の変化」にうまく乗ったのであって、本人たちは小売屋の出身かもしれないが、もともと何十年もやってきた小売屋さんではなかったのである。
次に、小売屋といっても、スーパーの一番原型は酒屋か雑貨屋だが、酒屋か雑貨屋の出身でスーパーの大社長になった人は一人もいない。薬屋をやっていたとか、洋品店をやっていた人が新しい業種に進出したのであって、本人にとってはシロウト商売だったのである。
第三に、新しい商売を新しい土地へ行ってひらくのだから、問屋が小売屋をひらくような抵抗もないし、地元でスーパーをやるような周囲からの圧力もない。スーパーのなかには、いわゆる地元のスーパーというものもあるが、文字通りの地元スーパーで大をなしたものは一軒もない。地元スーパーでも、経営者の出身地だけでやっているのは小売店に毛の生えた程度のものにすぎず、同じ県下でも隣の町とか、そのまた隣町に次々と店を拡げて行き、義理人情で身動きできないところで仕事をしていない人だけが、中以上の企業に育っているのである。
だからスーパーの発展の歴史は、日本経済の発展の歴史の一つの側面を物語るものだといっても、決して過言ではない。そのために小売業も問屋業も再編成を余儀なくされたが、だからといって、小売業も問屋業もなくなってしまいはしなかった。やり方が変わっただけで、現にスーパーと共存共栄している小売業や問屋業がたくさんあるのである。
スーパーが出現したとき、私は小売屋も問屋もデパートも、ものすごく影響を受けるようになるだろうと直感した。一つの新しい商売が大きく成長するときは、必ず商売に食われて駄目になる商売がある。たとえば、ビジネスホテルは旅人宿を食ったし、サラリーマン金融は質屋を食った。
同じように一つの町に大型スーパーが進出すると、商店街で同じ商品を売っている小売店は売上げが半減するといわれている。だからどこの町でも、スーパーが進出するらしいという噂が立つと、商店街のオヤジさん達が先頭に立ってスーパー進出反対期成同盟をつくって気勢をあげる。
「どうして反対なさるのですか」
とある町に講演に行ったときに、反対の先頭に立っている人にきいてみたことがある。そうしたら、
「我々の商売の邪魔になるから」
という返事がかえってきた。
「じゃ、あなたのお店で売っていないものを買うときはどこに行きますか」
とききかえしたら、
「そりゃスーパーに行きますよ」
と臆面もなくいうから、これで勝負があった、と私は思った。商売をしている人たちにも消費者というもう一つの面がある。消費者として、自分の店で売っていないものを買うときはスーパーに行くとすれば、隣の人もまたその隣の人も、ことごとくスーパーに行ってしまうだろうから、街の小売店でスーパーと同じものを売っている店は立ち行かなくなってしまう。
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