思惑と実際の違いの証明
私は自分が社長している会社を倒産させた経験はないが、関係会杜を倒産させた経験はある。
もう二十年も前のことであるが、頼まれて栃木県の鬼怒川べりで、砂利屋の経営をやったことがあった。もともとは、ある友人が宇都宮に住んでいる人を連れてきて、「この人は鬼怒川に砂利採掘権をもっている。私が三〇〇万円ほど資金援助をしてやったが、もうこれ以上はできないので、あなたが面倒を見てやってくれないか」と私に頼んだ。
ちょうどその頃、私は関西工機という二部上場の砂利採取機械専業メーカーのコンサルタントをしていて、かねてから「砂利の鉱区さえあれば金は簡単に儲かる」ときいていたので、さっそく関西工機に、「機械一式を提供して、共同出資でやってみたらどうですか?」と打診した。同社の人は、「相手とは一面識もないから、もしセンセイが一枚噛んで下されば話に乗りましょう」という。
なるほどもっともな言い分であったから、資本金五〇〇万円の会社をつくって、鉱区を持っている人が一〇〇万円、関西工機が二〇〇万円、そして私が二〇〇万円という配分をした。機械一式は一八○○万円ほどで関西工機から買い、二年分割払いの手形で支払うことにした。関西工機の出資分二〇〇万円分は、機械の頭金としてすぐに関西工機に支払ったから、関西工機は実質上、金は一文も出さずに、機械だけ売りつけたようなものである。
昭和三十七年といえば、高度成長の初期であったし、高速道路の計画やビルラッシュがあって、東京都の周辺は砂利不足で、砂利業者が相模川にかかった鉄橋の橋ゲタがグラグラ揺れるほど周開の砂利を乱掘して、新聞ダネになった時期であった。鬼怒川べりまで東京から一五〇キロあったが、このへんまではいずれ採算圏に入ると私は見ていた。
さっそく、栃木県下で盛んに工事をしていたある一流建設会社の社長のところへ計画を持ち込んで、「砂利を買ってくれませんか」と頼み込んだ。どれくらい取れるかときくから、「せいぜい月に一万リューベぐらいですよ」と答えたら、「そのくらいなら、うちで一手に引き受けてあげましょう」とすぐに請け合ってくれた。選別した砂利を、その会社の工事現場に運んで月末に手形をもらい、それを宇都宮の銀行へ持って行って割ってもらえば、それで振出手形の支払いができる。手形を完全に払い終わるまではとうてい資金の余裕はできないが、二年たてばそうとう金が儲かる会社になるだろう。そう思って仕事をはじめたのだが、思惑と実際が如何に違うものかは、まもなく証明されることになった。
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