しかし、小型スーパーでなければ過疎地帯とか大型店の谷間みたいなところへ割り込めないとすれば、小型スーパーは大型店業者の独壇場とは限らない。
まず第一に、小型スーパーは大資本がなくてもできる商売の一つである。第二に、土地の事情にくわしく、もっと芸の細かいサービスが要求されるから、家族労働向きのところがある。
第三に、落ちこぼれを拾うような小さな商売だから、大型スーパーをやってきた人々が食指を動かさないスケールという一面もある。したがって、大型スーパーの経営者に必ずしも適した商売とはいえないかもしれない。
他方で、田舎にはすでに小型スーパーがたくさんあって、それなりに過疎地帯の流通業者のリーダー的役割をはたしている。ただこれらの業者は、いずれも売上げが四、五年前からずっと横這いになっており、隣町に大型スーパーができた途端に売上げが激減したりするので、絶えず大型店の進出に神経をいらだたせている。
またこれらの小型スーパーは、旧商店街にあることが多いので駐車場がないために、郊外の田圃の中に新しくできた駐車場完備の新小型スーパーを一番の強敵だと考えている。なぜならば、新しくできるであろう小型スーパーは、店のつくりもモダンだし、品揃えも消費者の要求にあっているし、仕入れのルートも自分たちよりうまくできているに違いないと信じ込む理由があるからである。
ということは、在来の過疎地帯にある小型スーパーは、食料品店や雑貨商がそのままお店を改造したようなものが多く、家族労働にたよるという点では、次に現われるであろう小型店と本質的に違うとは思われないが、「経営センス」という点で遜色があるからである。つまり駐車場、店舖のレイアウト、商品構成といった点で、これらの在来の小型スーパーが絶えずインフェリオリティー・コンプレックス(劣等感)に悩んでいるとすれば、それらの要求を充たした新型の小型スーパーが成り立つ余地がある、ということにほかならないのである。
こうした要求を、大型スーパーの別働隊が完成する可能性があると私はいったが、まったく別の人が現われて、新しいスタイルの小型スーパーをつくる可能性もないとはいえない。
どうしてかというと、一つの事業に成功した人が、次の新しい変化にも同じように反応できるとは限らないし、むしろ、新しい断層は新しい挑戦者によって埋め合わされる可能性のほうが強いからである。したがって、地方都市で小型スーパーの経営に成功した人が、同じノウハウを使って隣町か隣村で、似たようなスケールの小型スーパーを拡げて行くことはできるであろう。
それは地方の過疎地帯だけでなく、さきに述べた大型スーパーと大型スーパーの谷間において、おそらくもっとも威力を発揮することになるであろう。もちろん、小型スーパーが谷間を狙ってうまく成功したら、在来の小売屋の数は今よりももっとずっと減る。ただし、小売屋の数そのものがなくなってしまうわけではない。
小売屋は、物品販売業としては専業化がすすむ一方で、物を売ることからサービスを提供する方向へ、ドンドン変わって行くものと考えられるからである。
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