私の南部の仕事を受け持った総経理のごときは、不安で不安で居たたまれなくなって、何回も飛行機に飛び乗っては、東京まで私を追いかけてきた。私のオフィスに入ってきて、私の顔を見ると、
「一人でいると本当に心配で、あれもセンセイに相談しよう、これもセンセイに聞かなくっちゃ、と思って、矢も楯もたまらなくなるんです。でもセンセイの顔を見た途端に、ホッとして、もう何も聞くことがなくなってしまいました」
私の顔を見るだけで気持が落ち着くなら、顔を見せるくらいはお安いご用である。私は笑いながら、
「君は困ったら僕のところへ相談にくればよいけれど、僕はどうすればいいのですか。僕は相談に行きたくとも行くところがないから、ジッと一人で耐えているのですよ」
「そういえば本当にそうですね。相談に行くところのある人はまだましですね」
「だから君も、"ジッと耐える"という修行が必要ですよ。いいですか、損をすると人はすぐに痛がって悲鳴をあげる。でも、損が出はじめたらその場ですぐに出血が止まるものじゃないんです。必ず一定期間、損が続くんです。たとえぱ、毎月五〇〇万円損をする。この損が一年続いたら会社がおかしくなる。二年も続いたら、従業員に退職金を払う金もなくなってしまう。おそらく三年もしないうちに、無一文になってしまうだろう。そういう計算をしながら、ジッと損に耐えて行く。僕はいまそういう修行をしているのです。君も少し見習ったらどうですか?」
自分の総経理に向かって私はそういったが、実は、それは自分自身にいって聞かせる言葉でもあった。損を出しても青くならない人間になることができれば、企業家としてはAランクに入る人だと私は思う。「観念する」というが、損について「観念する」のには、よほどの覚悟が必要なのである。
私はやめるべき事業はやめることにした。まず衣料の加工場を閉めた。次に三〇〇頭の牛を叩き売って牧場を廃業した。剣道具は、そのときすぐ思い切ればよかったのだが、まだいくらか見込みがあると思って一年あまり店閉いを延ばしたために損を倍増してしまった。鰻の商売はそのあと二年も続けたが、結局、一万四〇〇〇坪の土地だけ残して、加工場は他に賃貸してしまった。
ほかにも廃業したものがいくらかあったが、不況が底をついて戻り足になると、生き残った企業の業績はみるみる恢復し、なかには五割配当ができるものも現われた。
嵐のすぎたあとでふりかえってみると、私がピンチの中で本当に勉強したことは、機敏な決断とか素早い対応とかいったことも、もちろんあるが、何といっても、「ジッと損に耐える」呼吸を覚えたことであった。
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