10. 転業は生き残り作戦と思え
変わる町の勢力地図
「コケの一念」というのが日本では尊敬されている。何十年も一つ事に執着し、人に何といわれようと頑張り続けるくらいの一途さがなければ、とうてい仕事は成功できないことも事実である。
陶工柿右衛門が朱の色を出すとか、渡辺崋山が鶏の絵を描くとかいった芸術的な仕事なら、撓まざる努力が物をいうことは間違いない。しかし、商売のような絶えず変化する需要に対処する仕事になると、同じ位置にいて同じ事をくり返して成功することは難しい。
地方都市に行くとこのことがよくわかる。地方は東京よりも変化が鈍い。昔からの商店街がそのまま、今も軒を並べている。よくあんな、お金にならない商売をあきもせず続けているものだ、と感心したくなるような店が並んでいる。私はどんな田舎の商工会にも、時間さえ許せば講演に行くよう心がけているが、行った先の商工会の会長さんや副会長さんの職業をきいてみて、材木屋か造り酒屋かの町は、たいてい駄目な町である。というのは、徳川時代からある商売に従事している人たちが今もなお町で幅をきかせているということは、その町の産業があまり発展していない何よりの証拠だからである。
何百年という歴史の中で、どういう商売に従事した人が成功したかは、だいたいきまっている。材木屋、造り酒屋のほかに、醤油屋、旅館、米屋、質屋というのが古くからの比較的大きな商売であった。米屋が食管法以後にまず駄目になり、質屋はいつの間にかサラリーローンにかわってしまった。醤油屋は、九州の各地に小さなスケールでいくらか残っているほかは、ほとんど姿を消したし、旅館はビジネスホテルにとってかわられている。造り酒屋は何回も何回も整理統合をくり返したが、それでもまだ県によっては酒造県と呼ばれるところが残っている。結局、材木屋が一番最後まで残ったが、これも最近の建築不況で土壇場まで追い詰められている。
代わりに地方に現われたものといえばスーパー・マーケット、郊外レストラン、ガソリン・スタンド、結婚式場、ビジネスホテル、ショッピング・センター、バチンコ屋といったものであろう。これらの新商売をやっている人たちは、昔からその町で資産家だった人たちかというと、必ずしもそうではない。一番多いのは、たぶんその町とは何のゆかりもない他所者であろう。とりわけスーパー・マーケットは、町の従来からある商店街のオヤジさんたちと競合関係にあるから、同じ町の者では気兼ねがあってなかなか踏みきれない。ぐずぐずしているうちに、県庁所在地の大きなスーパーに乗り込まれてしまった、というケースが多い。
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