私はいった。まず第一に家を売ってしまうこと。家を時価の五〇〇〇万円で売ってしまうこと。家を時価の五〇〇〇万円で売ってしまえば毎月、銀行に支払う元利合計の六〇万円が助かる。事務所と事務所で今までやってきた事業は他人に譲り、二〇〇〇万円はその人に肩代わりしてもらう。あと残る三〇〇〇万円のうち大口の債権者になっている二〇〇〇万円はなるべく一人か二人に債権を集中してしまい、手形の支払い期日を延ばしてもらうとともに、返済の方法について交渉をする。あとの何十人に及ぶ小口債務は、私たちが保証をして銀行から一〇〇〇万円借りられるようにしてあげるから、それで整理をしてしまう。
しかしもう一度くり返すが、家は必ず売ること。外聞なんか気にしないこと。家族に事情を打ち明けて、覚悟をしてもらうこと。それでいいか、と私は念を押した。
これに対して本人は一も二もなく賛意を表したので、私たちは一〇〇〇万円を銀行から借りられるように口をきいてあげた。しかし、金を借り出したのはいいが、金利は一回払ったきりで、家も売らず債務の整理統合もやらなかったので、とうとうそのまま倒産してしまった。あまり目立たない倒産だったから、週刊誌の話題にはならなくて本人は助かったが、さすがに恥ずかしくて二度と再び私たちの目の前に姿を現わさなくなってしまった。あるいは私たちにかくしていた債務がほかにまだあったのかもしれないし、家を売ってハダカになることを何とか避けたいと思ったために、かえって無理を重ねる結果になったのかもしれない。
私にいわせると、家が財産ではなくて「家を買える能力」が財産である。友達を財産と見なすのは少しいいすぎかもしれないが、友達は金をつくる能力のお手伝いをしてくれる人たちである。だから、果実である家などはいざというときは捨てても惜しいものではない。そういうものをまた手に入れるタネのほうを大事にしたほうがいいのである。
しかし私がこんなことをいっても、「火宅の人」でないときにはなるほどと思うかもしれないが、自分が現実に火に取り囲まれたら、前後の見境いもつかなくなってしまうのであろう。
火事場で怪力を発揮してタンスごと運び出す人もあるそうだが、無一文になると思うと、にわかに物欲が強くなって財産に固執するようになるのであろう。
もったいないことをやるものだ、と私などは本人のために悲しい思いをした。
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