失敗しても逃げては駄目
人間、弱気のときは羽をもぎとられた小鳥のようなものである。駄目な部分ばかりに気をとられるから、失ったものの大きさだけが瞼に焼きついている。しかし、しばらく時間がたつと羽をもぎとられたような重傷でも、いつか癒えて元気をとり戻すときがくる。時間ほど「偉大な神の手」もなければ、時間ほど「公正な審判官」もないのである。
時間がたてば、人間はまず自分の失ったものに対してあきらめがついてくる。自分が新しく置かれた立場に少しずつ慣れてくる。スター扱いをされた人でも、長く冷遇されれば、冷遇されている自分の立場が正視できるようになってくる。資本がなければ資本のない状態のままで、現在の自分にやれることは何か、少しずつはっきりしてくる。
私の友人で、経営コンサルタントをやりながらそれにあき足らず、事業経営に手を出して物の見事に失敗を喫した人がいる。この人は、前に友人相語らってお金を銀行から借りてあげたところ、ドロンをきめられた経営コンサルタントとは別の人である。考えてみると、人の経営相談に乗りながら自分でやりたがる人は多いし、自分でやってみて失敗をする人は多い。たぶん自分でやってみると、理屈通りに行かなくなって、それだけまたアワを食う人が多いのであろう。
私はその人がチェーン・レストランの経営に乗り出したときも、テニスのメンバークラブに手を出したときも「大丈夫ですか?」「大丈夫ですか?」と何度も手綱をしめ直すようなきき方をした。しかし強気で拡張をしているときは、疑問符のついた言葉は耳に入らないものである。そのうちに金繰りに追われるようになり、手を出した事業がことごとく裏目に出たばかりでなく、本業まで駄目にしてしまった。無理もない話で、倒産した経営コンサルタントのアドバイスなどききにくる人があるわけもないのである。
私は人づてにその人の失敗をきいたが、本人から連絡もなかったのでしばらくそのまま放置しておいた。いずれにしても、本人の気持の整理がつくまでに、「時間」の洗礼を受ける必要があると思ったからである。半年以上もたってから、ある日、その人から電話がかかり、私たちはホテルのロビーでおちあった。
その人は今までのいきさつを私に説明した上で、債権者とのやりとりも一段落ついたので、気分を一新するために東京へ出て働こうと思っていると、私に語った。
「センセイのもとででも、何か私にやれることはないだろうかと思って、本日はお伺いしたのです」
そういわれることは私にとって必ずしも迷惑ではなかった。私を頼ろうという気になるまで、つまり病人から半病人くらいのところまで健康状態が恢復したことを示すもの、と私は判断したからである。
しかし私は、本人が事業に失敗した大阪から、この際、逃げ出すべきではないと思った。私はリコーの創始者である市村清さんが、熊本で保険の外交をやってさっぱり契約がとれず、年の暮れに夜逃げをしようと思って、奥さんに打ち明けたときのエピソードを持ち出した。
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