19. 釣れないときは漁場を変えよ
都市の発展する方向をさぐれ
女を誘うのもお金儲けをするのも、よく魚釣りにたとえられる。事実、魚釣りにたとえたら、わかりやすい面がある。
川釣りにせよ、海釣りにせよ、魚釣りをする人は、経験的にどこに行けばよく釣れるかを知っている。そこで、釣りに行くときはいつもよくつれそうなところへ行こうとするし、したがって、いつも行くところは大体、きまってしまう。
ところが、長い間いい漁場だと思っていたところで、突然、魚が釣れなくなることがある。
原因はいろいろあって、川から汚水が流れ込んできて魚の棲息に適さなくなったとか、魚の餌になっていたプランクトンが発生しなくなったとか、潮の流れが変わって水の温度が違ってしまったとか、とにかく何らかの変化で魚の通り路が変わってしまう。魚の通り路だったところに魚が来なくなってしまうのだから、かかりが悪くなるのは当然であり、「すっかり釣れなくなったなあ」「ひどい不漁だな」という声がきかれるようになる。
しかし、ある場所に位置している人が不漁になったのは、魚が海から消えてなくなったからではない。いままで通り路だったところを魚が通らなくなっただけのことで、魚は別のところを通るようになったのである。だから、新しい魚の通り路をさがして漁場を移せばよいのだが、何十年も一つの漁場にかよいなれた人はどうしても同じ漁場で釣ろうとする。昔に比べて、魚の食いつきがさっぱりだから、「世の中だんだん悪くなって行く」という思想にとりつかれてしまうのである。
同じ一つの街の中を見ても、街が発展して行く方向がある。東京都の場合は、どういうわけか南と西、すなわち川崎、横浜と立川、八王子という方向に住居地域がふえて行ったので、
「都市は南と西へ向かって発展する傾向がある」と説いている人もあるが、これはたまたま東京をめぐる特殊な条件がもたらしたものであろう。たとえば、下町と山手という区別があって、下町に昔からの商店街が集中しているのに対して、山手は高級住宅街と考えられていた。
また下町の東側、北側に零細工業が集中し、労働者の町という観があった。だから新しい住宅は、それらの地域を避けて南へ、南へと拡がって行ったのである。「人は暖かい方向を目指す」というのなら、南へ向かうのは納得が行くが、東京の西は山岳地帯にさしかかっており、温度も東京より三度から五度低いから、このリクツは通用しない。したがって、南西説は単なる偶然と考えたほうがよいであろう。
現に地方都市に行くと、地形に左右されて東に向かうところもあれば、北に向かうところもある。どちらに向かうにしても、街は生きている。絶えず動いていることだけははっきりしている。
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