それはそれで嬉しい話だが、一階がハヤるのを見て、客の入らない二階の大型コーヒー店の人が、「お客をとられた」「あなたは同じような飲食店を一階につくらないと私に約束したじゃないか」と文句をつけてきた。二階の大型コーヒー店は、富土珈琲からヒントを得て台北中を風靡したスタイルのコーヒー店の一つである。中国人は「金」という字が死ぬほど好きだから、金珈琲、金琴珈琲、金加金珈琲といった貴金属屋のような名前をつける。南京東路を歩くと、一時は貴金属屋の町になったのではないかと思うほどであった。うちの二階にできたコーヒー店にも「金」という字がついていて、七年前にできたときは、それらの中でももっとも豪華なキンキラキンのつくりであったから、一日に九〇〇人から一〇〇〇人のお客が押しよせて、三二〇あるイスがいつも満席であった。
しかし、高度成長の初期にそうした成金趣味にあこがれていた人々も、国民所得があがり、海外旅行も自由化されて外国の一流店を見る機会が多くなると、キンキラキンにはもはや何の魅力も感じなくなってしまった。そのキザシはすでに三年前からはじまっており、お客が波のひくように減りはじめる。経営者は必死になってバンドを入れたり、歌謡ショーをやったりして退潮を食い止めにかかったが、消費者の心理が読めずにいるから、ついに売上げが最盛期の三分の一まで減少してしまった。そこヘカフェテリアができて、ドッとお客が一階に押し寄せたから、「二階への通路にカフェテリアが入□をつくってお客をとった。あの入□をふさがない限り、家賃を払わない」と本当に家賃を払わなくなった。というよりも払えなくなったのが実情であろう。私は、「通路というものは天下の大道と同じで、どこにでも通ずるものだから、二階に行こうと思った人が一階に入るようなことはない。ごらんなさい、二階に上がる人は真直ぐ二階へ上がっていくでしょう」と玄関口に立ってお客の動きまでとらえて実証してみせた。しかしいくら説明をしても「一階の人が悪い」「通路に一階の勝手□のあるのが悪い」と主張して譲らない。こうなるともう冷静な判断や次の対策はまったく立たなくなってしまう。
自分に対する反省がなくて、被害者意識だけが先に立ってしまうから、あとは世をはかなみ、家主を恨み、ライバルを憎んで、最終的には店じまいに追い込まれてしまうよりほかなくなるのである。
冷静な第三者が見れば、これは喜劇である。本人にとって打撃であればあるだけ、真剣になって怒れば怒るだけ、ドン・キホーテ的に見える。そのよって来たるところをふりかえって見れば、世の中の移り変わりについて行けなかっただけのことであって、もし本人が消費者の心理の変化を素早くキャッチし、それに対応して行くだけの能力があったら、一階が集めて溢れ出たお客をどうやって二階まで呼びあげるか、考えるであろう。現に三階、四階は大ハヤリで、エレベーターはいつも客で押すな押すなだから、二階の位置だけが悪いというリクツは成り立たないのである。
田中角栄氏は自分のことを「客寄せパンダ」と呼んだが、どうやれば人を集められるかを考え、実際にお客を集めることができれば、不況などどこ吹く風であろう。不況とは、私にいわせれば、人と金の流れが一つところから別のところへ移動する現象にすぎないのである。
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