自分たちの土地でお金儲けができないならば、自分のほうから魚の通るところへ出かけて行くに限る。土地は動かせないけれども、人間は動く足を持っているのだから、獲物のいるところへ動くのが一番手っ取り早いのである。若者は正直だから、獲物のいる都会に出かけて行く。行ったきり帰って来なくなるから、出稼ぎ県はどこも年寄りが多くなり、日本国中でも有数の高齢県になってしまう。
これらの県の特産品は「人間」だから、その中から全国的に発言力を持った人間を出せば、かの有名な新潟県のようなことも起きる。地方で産業をおこす代わりに、日本的スケールの人物を東京へ送り込むことに成功すれば、少なくとも新幹線を走らせたり、県内の道を立派にすることはできるのである。
しかし、地方都市で政治や経済の指導にたずさわっている人たちは、何とかして大企業の誘致をしたり、工業を振興したりする道はないかと、そればかり考える。莫大な市町村費をかけて工業団地を開発したのはよいが、第一次、さらに第二次の石油ショックのあおりを食ってそのまま放置されているところもたくさんある。
ある一時期、すなわち高度成長の後半にかけて人件費が高騰し、人手不足に悩んだ時期には、たしかに大企業が過疎地帯に工場進出を試みたことがあった。宮崎県、島根県、岩手県、秋田県のような地方にまで、自動車メーカー、電機メーカー、工作機械メーカーが進出した。
そうした中央からの進出は地方都市の雇傭を促進し、そのおこぼれが商店街を多少なりとうるおしたので、その味が忘れられずに、低成長に移行してからも、工業化の夢を見続けているのである。
たまたま石油ショックを契機として、新規の投資が減少し、雇傭の調整も行なわれるようになったので、都市で新規の雇傭も減ったし、故郷へ戻る逆流現象もホンのわずかだが見られるようになった。子供を育てては都会にとられ続けてきた地方にとっては、それこそ鬼の首でもとったような快事で、さっそく「地方の時代」というスローガンまで打ち出され、それが内閣の政策にまでとりあげられた。
しかしまったく時を同じくして、人手の代わりにロボットが採用されるようになり、もはや過疎地帯に工場をつくらなければならないような条件は解消してしまった。今後、工業地帯は各企業のヘッドクォーターのある東京からさして遠くない地域に集中してつくられる傾向がある。このことについては、拙著『奔放なる発想』(PHP研究所刊)に詳述してあるので、ここで改めてくり返さないが、地方の時代はどうやら半永久的に遠のいてしまった感がある。工場を地方に分散する必要がなくなれば、地方へ人口が散ることは考えられず、人口が大都市へ集中すれば、金儲けのチャンスは大都市に集まり、それがさらに人口の集中を促すことになる。
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