個性ある中小企業の踊る舞台
たとえばスーパーにしても、レストランにしても、全国的なチェーン店の展開が行なわれた。スーパーの場合は地方の商店街の商売をまとめて奪うから、一定の人口さえあれば一定のスケールの商売が成り立つ。ただし、三〇万人の人口を持つ県庁所在地には、それらの人口を独占しようとする中央スーパーがひしめきあうから、結果としては優勝劣敗の法則が働いて敗退するスーパーも現われるし、資本力のある中央スーパーよりは地方スーパーが一足先に併呑されてしまう。わずかに人口三万か五万ていどの小都市の一番店をつくってきた地方スーパーだけが生き残り、県庁所在地では、消費者の心理動向を見誤った大型スーパーの敗退が見られるようになる。このうえ実用品に対する需要が減退すれば、スーパーの数そのものが整理される段階に入ることは、充分予想される。
やや遅れて、全国チェーンを誇るファッション専門店やレストランが、負けじとばかりに全国に網をひろげてきた。四国や九州や東北へ行って街道筋を走ると、こんなところにまでこんなレストランができたのかとびっくりさせられる。県庁所在地の繁華街や駅の中のショッピング・センターに行くと、東京や大阪でもよく見かける有名なファッション・ショップの出店にぶっつかる。
今やテレビは同時に同じ情報を伝えるのだから、地方の人々が東京の人と同じ嗜好の姿カッコをし、また同じ物を食べておかしいわけはない。しかし、いかんせん人口一〇〇〇万人のところで店をひらくのと、人口一二万の町で店をひらくのとでは、通りかかる人そのものの数に雲泥の差があるのだから、お客の入りがまるで違う。観光客の通り路になっているならともかく、人口の少ないところで勝負をかけても、採算にのせることすら容易ではないのである。
若者たちが大都会に集まってくるのは、都会が華やかできらびやかな生活ができるからではない。そういう面もまったくないとはいわないが、人口の多く集まっているところには働く口も多いし、飯のタネが多く落ちているからである。
人が一人ふえれば一人分だけは消費する物が必要になる。服も着るし飯も食うし、寝るところもその分、必要になる。江戸の昔から「鐘一つ売れぬ日はなし江戸の春」と謳われているように、一〇〇〇万都市になればこんなものが、と思われるようなものさえ買手が現われる。一億円の外車など買う人があるものかと思うが、広い東京にはそういうあぶく銭を持った人も一人や二人はいるし、昼日中からパチンコ屋に入っているヒマ人がいるのかと思うが、パチンコ屋はいつも一杯である。また、こんなまずいラーメンを食べる人があるのかと思うラーメン屋でも、味のわからない人がわんさといるから、まずい店なりに繁盛している。
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