いずれも東京ならではの社会現象、経済現象だから、いくら競争が劇甚でも、もう少し押し込んでもまだ何とか消化してくれる大きな胃袋みたいな感じがする。
「満員だ、ラッシュだといっても、押せばもう一人くらいは入る満員電車のようなものですよ、東京というところは」
と私はいっているが、商売をやろう、一旗あげてやろうと本気で思っている人は、やっぱり人の集まるところへ集まるに限る。人の集まるところへ集まれといっても、集まってきた人の尻について歩いたのでは何にもならない。人と違うことをやって、人があとからついてくるように、自分の道を切りひらいて行かなければならないのである。
工業化の過程で、日本人は世界でも一、二の所得水準の高い国にのしあがったが、マスプロ、マスセールが進むにつれて、マスプロ、マスセールそのものが飽和点に達して、今度は逆に整理されるところまできてしまった。街の商店街など商売の大半が大型店にとられてしまったし、残った商店の中でも、商売熱心な人とそうでない人の差がついてくるから、さらに半数くらいは消えてなくなる宿命にある。転業ということも考えられるし、息子は大企業に就職して後継ぎがなくなり、自然消滅というケースもたくさんある。
さらに私が、この本のはじめにとりあげた倒産とか再出発といったことも、これからどんどん起こる。これらの人々が次に飯を食べて行けるところがなければ、飢えをガマンして抵抗するから、世の中は変わりそうに見えてもなかなか変わらない。実際には世の中の変化が新しい雇傭を生み、一つの業界から新しい分野への移動がスムーズに起こるから、生産革命や流通革命の全国制覇が可能になるのである。
そういった意味ではいままた、ロボット化の波が押し寄せ、生産社会も流通業界も大きな変貌に直面している。二十年あまり続いた経済の成長がほぼとまって、消費者の心理にも以前と違った変化が起こっているので、物をつくる商売はピンチにおちいるし、社会全体に質的な変化が起ころうとしている。
とりわけマスプロ製品志向がうすれて、大メーカーの製品が以前ほどもてはやされなくなってきた。自動車やテレビのようなものはともかく、衣料品や食料品やレコードや出版物のようなものは、ますますマイナー化する傾向にある。ジャルパックのような海外パッケージ旅行でさえも、もっときめの細かい、お客の要求に応じたスケジュールに組みかえられて行くであろう。どれをとってもマスプロ、マスセールではうまくやれないところがあるので、企業の大規模化が限界に来て、中小企業の天下にもどりつつある観がある。ようやく舞台が一転して、新しい個性をもった中小企業の踊る番がまわってきたという感じを私は受けている。
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