第29回
コンサルタント業を廃業したわけ

私が繁盛していたコンサルタント業務を
辞めたのは次のようないきさつからです。

昭和39年に戦後はじまって以来の
大不況が日本を襲いました。
山陽特殊鋼が潰れたし、
山一証券は日銀特融を受けて
辛じて倒産を免れましたが、
産業界は空前のピンチにおちいってしまいました。
どこの会社も赤字を少なくするために、
いまでいうリストラに乗り出しました。

或る日、親しくしていた社長さんから
電話がかかりました。電話口に出ると、
「邱センセイのようなお金持ちさんは
 うちの顧問料がなくても
 お困りになってないでしょう」
といきなり言い出してきました。
何事かと思ってよく確かめて見ると、
不景気で経費の節約をやっているので、
毎月お支払いしているコンサルタント料は
しばらく停止させてもらいたい。
いずれ会社の業績が恢復したら
また復活しますからという
断りの電話だったのです。

それも社長直々、もしくは
秘書からの電話が多かったので、
「まさかそれでは困ります」とは言えません。
それも30社ある顧問先の17社から
同じ月のうちに断りがあったので、
改めて不景気の厳しさが
ヒシとして身にしみました。
それはまた私にとって大きなショックでした。

私はコンサルタントというのは
会社の社長にアドバイスをする仕事であり、
会社がピンチにおちいった時こそ
たよりにされるものだとばかり
思っていたのに、会社の経費節約の
対象になるような不要不急のジャンルに
すぎなかったのです。

会社が私にお金を払ってくれたのは
儲かっている時にタダ税務署に
お金をとられてしまうくらいなら、
邱さんに払ってやった方がましだ
という動機だったことがいやでも
わかってしまったのです。

嫌気のさした私は残る13社にも電話をかけて
不景気の折りですから、顧問料を
辞退したいと申し出ました、
学生時代、家からの送金が途絶えた時は
下宿に帰ってフトンをかぶってねてるのが
最良の方法でした。

その時の経験を生かして、
オフィスをたたんで、家へ帰って
何もやらないことにしたのです。





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