第28回
口舌の徒では満足できなかった私

人の相談に乗るのは嫌いな方ではありませんから、
コンサルタント業は私向きの仕事かも知れません。
私はほかの会社でどんなことをやっているかを
よく話題にしたし、社長さんたちが
新しく事業化しようとしている計画について
自分の意見も述べたし、またその会社で
企業化できそうな新しい技術を
紹介することもやりました。

上場する企業を証券会社に紹介して
幹事をつとめてもらったり、
ワンマン社長からクビにされた有能な重役たちを
異業種へ転業させる仲介もやりました。
また地揚げのために有力な政治家に 口をきいてもらうように
不動産会社の社長さんを議員会館まで
連れて行ってあげたこともあります。

想像以上に成果があがって、
金一封を手渡されたこともあります、
でもわたしは顧問料以外のお金は
一切受け取りませんでした。
失敗した例もむろん、たくさん、あります。
或る街の発明家から当時まだなかったプロパンガスの
メーターの企業化を依頼されたので、
ある上場会社の社長さんのところに持ち込みました。

私は信用されていたので そのプロジェクトはすぐに採用され
試作を何回もやったのですが、
技術的な欠陥があって製品になりませんでした。
でもそれがきっかけになって、
その会社はプロパンガスのメーターの開発に取り組み、
その結果、プロパン・ガス・メーカーの
大手にのしあがることができました。
春秋の筆法をもってすれば、そこの会社の主要製品は
私のおかげでできたということになりますね。

ふりかえってみて私は
自分がそんなに有能なコンサルタントだとは
思っていませんが、積極的で、ユニークで、具体的に
役に立っているという自信がありました。
それでも自分のアドバイスが採用されないことが
しばしばあったし、自分が何もやらないで
口先だけで人を説得することに対する
疑問を消すことができませんでした。
その頃、知りあいになった
リッカー・ミシンの平木信二さんという社長さんが
人の会社の帳簿を記帳をする税理士から
実業に転じて立派に成功しているのを見て、
自分でやるのが本筋ではないかと
思うようになりました。
といってもそれを実現に移したのは、
もう少しあとになってからのことです。





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