第31回
歌謡曲を書いて骨休め

最悪のピンチだけはどうやら逃れたのですが、
不景気はなかなか回復しそうにありません。
お金のない時は、家に帰って
フトンをかぶって寝ていた方が
良いと言われても、大の男が朝から晩まで
家の中でゴロゴロしているわけにも
いかないものです。
 
フトンの中で、昔のことを書いた本を
バラバラとめくっていると、
不景気の時、一番ハヤるのは流行歌だと出ていました。
「まっくろけのけ」というのも
「同じお前も枯れすすき」というのも、
明治、大正の不景気の時代に
一世を風靡した歌だそうです。
歌を書くのなら、高校生時代に詩を書いて
新聞社から賞をもらったこともあるので、
少しばかり自信があります。
私にはミーちゃん、ハーちゃん趣味があって、
テレビの歌謡番組もよく見ています。
 
なら、歌謡曲でも作ってみようかと
机に向かいましたが、原稿用紙を前にしても
1行も頭に浮かんで来ないのです。
ところが、名古屋や大阪に行って
旅先のホテルに備えつけられた只の便箋紙だと、
不思議にスラスラといくらでも出てきます。
それを知人の作曲家に作曲してもらって
ビクターの会社に持ち込んで、
その頃、売り出して間もない橋幸夫くんに
歌ってもらったのが
「恋のインターチェンジ」という歌です。

売り出しと同時にヒットをして、
「この頃、目下、4、5才の子供の間で流行」
と週刊明星に書かれ、
「あなたの知能程度は4、5才ね」
とかみさんから冷やかされたことがあります。
あの歌のリフレーンは
「真直ぐ行こうか、曲ろうか、
 それともこのまま戻ろうか、
 ここが思案のしどころよ」というものですが、
私自身も迷っていたし、
日本の産業界も迷いに迷っていました。

その年、私はレコードを3枚つくって
2枚がヒット賞をもらいましたが、
1年もしないうちにやめてしまいました。
景気も戻ったけれど、
私が新しいことに
興味を持つようになってしまったからです。
我ながら気の多い人生ですよね。





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