第211回
永漢日本語学校を再開致します

過去の記録を見ると、
私が永漢国際学院日本語学校の設立を申請して
東京都から許可をもらったのが昭和62年(1987年)で、
業績不振を理由に廃校を申請して可許されたのが
6年後の平成4年(1992年)になっています。

私が日本語学校をつくる気を起したのは、
豊かになった日本を見習うために、
いまに全世界から年に10万人くらいの留学生が
押し寄せるようになるだろう、
その人たちは大学や専門学校に入る前に、
先ず日本語の勉強からはじめなければならない、
そのうちの10分の1くらいを収容できる
日本語学校を目指そうじゃないかという
いささか妄想に近い見通しからでした。

日本で勉強したいと考えるアジアの留学生は
いくらでもいたのですが、
日本の入国管理局がいわゆる就学生
(日本語の勉強のために日本に留学する学生のこと)の
アルバイトをおそれて片っ端から不許可にしたので、
学校が成り立たなくなってしまったのです。
もしアルバイトを禁止制限するなら、
奨学金でも出さないと、貧乏なアジアの若者たちが
生活費を払った上に1年60万円もかかる学資を
払いきれませんよね。
グラマンやロッキードの戦闘機を買う予算も
交際費ですよというのなら、
将来それぞれの国で指導的な役割をはたすようになる
外国人留学生に少しくらい息のつける道を
ひらいてあげたらどうですか、というのが私の意見でした。

でもそれが全く無視されたので、
私は5年間続いた1年3千万円もの損失に耐えかねて
とうとう廃校してしまいました。
それがどういう風の向きまわしか、
今年になって留学生の受け入れを
緩和する動きになったので、
今はどこの学校も新入生を受け切れなくなっています。
私の閉校した校舎もそのまま残っているので、
もう一度、再開を申請する決心をしました。
(余談ですが、私はあわて者で、いつも早すぎるので、
 私の文章を読まれる方は株の情報もふくめて、
 そのへんのところは充分心得ておいて下さい)


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