第221回
吉川英治先生に褒められた西遊記

私に中央公論社から「西遊記」執筆の依頼があったのは、
昭和34年、スプートニックが
ソ連から打ち上げられた時のことでした。
いまは電話の通信や地上の観測にも
使われるようになりましたから、
どうということはありませんが、
スプートニックが打ち上げられた時は
地球上が大きなショックを受けたものです。

そう言えば、昔々、孫悟空が一跳び10万8千里という
空想小説がありました。
あれを現代風にアレンジした小説を書いてくれませんか、
と当時、編集長をしていた竹森清さんから
たっての依頼だった。
私はちょうど中央公論誌に
「サムライ日本」という連載を執筆中でしたが、
それを辞めてすぐにはじめようというので、
やむを得ず「サムライ日本」の連載は他の雑誌に移し、
次の月から早速、執筆をはじめました。

挿絵は前田青にしましょうかときかれたけれど、
と言えば、押しも押されぬ日本画の大家です。
そういう大家に挿絵を画いてもらえば
私にも箔がつくかも知れませんが、
私は私の挿絵を画いたら私と共に世間に知られるようになる
若手であまり世間から知られていない人がいいと考えて、
当時、新進だった藤城さんにご登場願いました。
おかげでしばらくの間、個展をひらくと
藤城さんの作品は大半が西遊記だったことがありました。
いまは文字通り影絵の第一人者。
皆さんの目に毎日ふれているのはその初期の作品です。

編集長の竹森さんが用事があって
吉川英治先生のところへうかがったら、
吉川英治先生が
「僕も中央公論読んでいるけれど、
 どこから読みはじめるか知っている?」
ときかれたそうです。
「どこからですか」
ときいたら、
「黄色いページの西遊記からだよ」
と言われて私は思いもかけず
面目をほどこしたことがあります。
そこで1冊目の単行本が出版された時、
吉川先生に帯の推薦文を書いていただいたことがあります。
もう40年も前のことですから、
いま読んで下さっている読者の中には
その頃まだ生まれていなかった人も多いでしょうね。


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