第268回
サラリーマンの経験は1年だけですが

私のクラスメイトのなかには
東大に残って教授になった人もいます。
大蔵省に入って国税庁長官をつとめた人もあります。
一流企業に就職して社長になった人もあります。
私ももし同じコースを歩んだら、
それくらいの出世はできただろうという自信があります。

でも私は植民地に生まれたために、
そういう出世コースとは一切縁がなかったので、
大学院に残って将来、学者になる道を選びました。
半年ほどたったら、引揚げ船が台湾へ行くことになり、
それに乗って台湾へ帰れるようになったので、
大学院を中退して生まれ故郷に帰りました。
台湾の人たちはこれで植民地の苦しみから
開放されると言って喜んでいたのですが、
蒋介石から派遣されてきた国民党の長官と軍隊は
台湾の人たちを日本人よりもっと苛酷に扱ったので、
遂に二・二八事件という暴動が起り、
万をこえる台湾人が犠牲になりました。

当時、私は銀行の研究室に勤めていたのですが、
若くて正義感に燃えていましたので、
こっそり香港に行って国連本部に
「台湾の帰属に関して国民投票を」という請願書を送り、
また何食わぬ顔をして台北に戻って
銀行に出勤していました。
或る日、新聞をひらいてみたら、
「台湾の人たちが独立運動をしている」というニュースと
それに対する台湾省議会議長の反芻文が
新聞 一頁分の大きさで報道されていました。

もし誰がやったか判明したら、生命はありません。
身に危険を感じた私は取るものもとりあえず、
飛行機に乗って香港に亡命し、
香港で6年間、苦悩の生活をした末に、
東京へ戻って小説を書いて身を立てるようになりました。
幸にも2年足らずで直木賞をもらい、
筆1本でメシの食える立場になりました。
以来、サラリーマンとは縁のない生活が続いております。
サラリーマンをやったのは
銀行の研究室に勤めた1年間だけですから、
窓口の経験もないし、いまだにお札の勘定さえできません。
でも職業選びについては私なりの意見を持っています。


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