第289回
私も経験したパスポート紛失の味

書店本棚を覗いても、
成田や関西空港の本屋に入っても、
世界旅行のガイド・ブックが溢れているというのに、
どうしてパスポートを盗られたら
どんな目にあわされるか、
またローマやミラノのぺてん師やスリが
どうやって人の財布から
お金を盗みとるかについての注意書きが
載っていないのでしょうね。
旅行者はみなひどい目にあって痛い思いをしなければ
一人前になれないという親心からだとでも
言うのでしょうか。

私がパスポートを奪われたのは
ブエノスアイレスの靴屋で買物をしている時でした。
靴屋に入った時は家内と私と2人だけでしたが、
不思議なことに次から次へとお客が入ってきて
店が俄かに賑やかになりました。
座った椅子に男物のハンドバックをおいたまま、
ものの2メートル離れた靴をとりに立ち上がると、
あいだに人が立ちふさがって、
その瞬間にそばにいたアルゼンチンの女が突然、
私のハンドバックを持って
店から駈け去ってしまいました。
その中に、私のパスポートと現金400ドルあまりと
予定をぎっしり書き込んだ手帖が入っていたのです。

私は南米経済視察団の団長をつとめていたのですが、
旅行のスケジュールを変えるわけに行かないので、
団長夫妻だけがあとにとり残されてしまいました。
もうその頃は日本パスポートにかわっていたので、
駐アルゼンチン日本大使館に
臨時パスポートの申請に行きました。
大使は私をよく知ってくれていましたので、
鄭重に扱っていただいただけでなく、
逆に謝られてとても恐縮してしまいました。
アルゼンチンは行政効率のきわめて悪いところなので、
何回もよけいな手間がかかってしまいましたが、
家内はこの前迷惑をかけたのが帳消しになりましたねと
却って喜んでいました。
帰りはビザもないのでロスで入国することもできず、
ぶっつづけに36時間、飛行機に乗って
成田まで帰ってきました。
以来、南米は遠いところになってしまいました。
ぶっつづけに36時間が
いまも頭にこびりついたままですから。



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2000年12月25日(月)

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