第377回
斜陽産業が海外進出のパイオニアでした

日本と中国に20対1の賃金差があれば、
コストのきびしい商売をやっている人なら、
誰だってこの賃金差に目をつけます。
とりわけ労働集約的な業種ほど生産基地の移転に走ります。

私は10年も前から
必ず賃金差を利用した商売が盛んになると考えて、
工場の海外引越しをすすめてきました。
日本の企業は石油ショックや円高と言った
貿易に不利な目にあわされても、
省エネとか自動化によって
コスト高に対抗しようとしたので、
生産基地の海外展開には1歩も2歩も遅れてしまいました。
その点、台湾の企業家たちは、繊維とか雑貨とか
日本が捨てた労働集約的な業種に従事してきたので、
自分たちの土地で採算がきびしくなると、
率先して大陸に移動したので、
いまでは3万社もの台湾企業が大陸で活躍しています。

日本人は外国語を覚えるのが苦手なのと、
島国に育って外国人と接触するチャンスが
少なかったのとで、
外国に進出することには気後れがして、
必要に迫られて
メイド・イン・ジャパンの販売に出て行くのがやっとで、
生産基地の海外進出については
後手に後手にとまわってしまいました。

結局、国内で生産しても採算に乗らない斜陽企業だけが
やむを得ず、賃金の安い発展途上国に移ることになり、
海運は外国の船籍をとり、
乗組員の大半を賃金の安い外国人に切りかえて
辛うじて生きる道を選びました。
また紡績とか縫製とか人手のかかる商売も早くから、
大陸や東南アジアに工場を移転して操業しています。

しかし、縫製基地を発展途上国に移しても
先進国のレベルに見合う商品をつくるのは
容易なことではありません。
品質も悪く、時間の観念もなければ、
いくら賃金が安くてもお客を満足させることができません。
この欠点をカバーできない限り、
低賃金のメリットはありませんでしたが、
それをカバーできたら
大成功への道はひらかれていたのです。


←前回記事へ

2001年3月22日(木)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ