第494回
中国語教室を東京につくったわけ

どう考えても、意志疎通の最大の障害は
言葉の通じないことです。
言葉がわかると、
難しい話もたちまちスラスラと通じてしまいます。

私の秘書を志願した上海の日本語学校の教師を
成都に連れて行った話をしました。
本人の志願書を見てどんな青年かときいたら、
まだ22才で髪の毛を金髪に染めています。
いくらセンセイでも金髪の秘書は
お使いにならないでしょうと報告を受けました。
そうだねえと笑って思いとどまりましたが、
よくきいて見ると、日本語の教え方が上手で、
学生たちにとても評判がよいということでした。

どうして評判がよいのか、
本人を成都に連れて行ってすぐにわかりました。
大学出て、一人で何のためらいもなく
上海にとび出してきたくらいだから、
中国人の間で暮らして行くためには
どうしても中国語を覚えなければならなかったのです。

外国語を教えるためには
その国の言葉なんか知らなくてもよい。
英語なら英語だけわかればいいのだという人がいます。
しかし、実際にやって見ると、
両方の言葉がわかる人が一番受けることは
日本学校をやって見てすぐにわかりました。

森山君という金髪の先生が学生たちから喜ばれたのは、
中国語ができて、
中国語で日本語がどういう具合にできているのか
説明ができたからです。
一緒に成都に行って、
「中国に来て一番難しいなあと思ったことは何ですか」
と台湾から来ている
ショッピング・センターの総経理がきいたら、
「それは中国人の物の考え方です」
と頭をさして、中国語でスラスラと答えました。

ちょうど台湾出身の総経理もそう考えていたので、
たちまち意気投合して、
「この子は若いけれど、物事をよく見ている」
と本人に仕事をやらせて見ようという気を起したのです。
もし中国語ができなかったら、
恐らくそんなに早く事は運ばなかったことでしょう。
私が東京に中国語教室をつくろうという気を起したのは
そのすぐあとのことでした。


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2001年7月17日(火)

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