第602回
グローバル化は誰もとめられません

グローバル化が「文明の衝突」を引き起すことは
テロリズムがアフガニスタンの爆撃にまで
発展したのを見てもわかる通りですが、
グローバル化によって異文明間の交流が盛んになり、
取捨選択の機会がふえることも確かです。

同じ回教圏でも、
サウジアラビアとイラクとイランでは違うでしょうし、
インドネシアとマレーシアとブルネイでは
もっと違うでしょう。
ブルネイ航空に乗ると、
ファーストでもアルコールを出してくれませんが、
回教徒でもしょっちゅう外国に行っている人は、
本国では飲まないけれど、
外国に出るとハメをはずす人が結構おります。
マレーシアに行くと、マレーシア人は豚肉を食べませんが、
印度人は牛肉を食べません。
同じ処に住んでいても、中国人は豚肉も牛肉も食べます。
戒律によってそれぞれのタブーがありますが、
鶏肉がどの宗教にも禁じられていないのは、
鶏にとってはむしろ災難でしょう。

本国にいる時はベールをかけることを強制されている
回教徒の女性もアメリカに行くと、
ベールをかけなくなります。
ベールをかけない習慣になれると、
ベールをつけるのが煩しくなるし、
時代遅れと感ずるようになります。
すると、ベールをつけない習慣が
回教国にも出現するようになるし、
やがてそれが女性解放につながって行きます。

それに反撥する勢力が時々盛り返して
歴史の歯車を逆にまわすようなことが起りますが、
それもそういつまでも続くものではありません。
人々がそれを望めば普及し、
人々がそれを見離せば、
いつか滅びてなくなってしまうのが文明です。
少し前までアメリカにはエスプレッソがなく、
イタリアには水みたいな
アメリカン・コーヒーがありませんでしたが
いまではどちらにもあるようになりました。
ですから少々時間がかかるでしょうが、
衝突のあとに、人類が選んだものが残るのが
グローバル化ということでしょう。
悪いことばかり起っていうわけではありません。


←前回記事へ

2001年11月2日(金)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ