第622回
愚図とはつきあいきれません

約束の時間に必ず遅れてくる人がいます。
そのことを知らない間は、
待っている間ジリジリして時計ばかり見てしまいます。

でも時間を守らない人は一向に気にしません。
すみません、すみませんと言いながら、
そんなに悪いことをしたとは思っていないようです。
時間にルーズなだけで、
別にそう悪い人ではないことがわかってくると、
こちらも少し時間をズラして行くことになってしまいます。
たまに向こうが先についても、
待つことにあまり苦情を感じていないことがうかがえます。

でもそういう時間の観念のない人と
仕事はしたくありません。
時間にルーズな人がお金にもルーズだとは限りませんが、
時間にルーズなだけで
仕事の歩調が合わなくなってしまうからです。

時間については
客観的な時間と主観的な時間があることについて
前にもとりあげたことがあります。
客観的な時間とは
1時間なら1時間という物理的な時間のことです。
それに対して主観的な時間とは
同じ1時間でもとても長く感ずる1時間と
とても短く感ずる時間があるということです。

アメリカのような合理性を重んずる国では、
物理的な時間を如何に効率よく使うかが
議論の的になります。
それに対して私は
「人生を短く感ずるような時間の使い方をするのが
 よい人生だ」
と言いましたが、
それはその通りだとしても、
同じ物理的な1時間を如何に上手に使うかも、
もちろん、大切なことです。

時間をルーズに使う人とはつきあいきれないし、
自分が時間の無駄遣いをするのもご免です。
あッという間に人生は終わってしまいます。
「だからまたこの次」と曖昧な言い方はさけて、
「この次は何日の何時に」という時間の決め方をします。
この時までにやっていなければ、
それはやらないことだと自分に言いきかせています。
愚図とはつきあいきれないが、
宿題をあとに残さないことも大切なことです。


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2001年11月22日(木)

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