第822回
間違えても日本大使館に駆け込むな

「亡命するなら、間違えても日本大使館に駆け込むな」と
私は書いたことがあります。
私自身、亡命をした体験があり、
どこの国がどんな対応をするかを
自分なりに研究したこともあり、
また亡命した人たちがどんな目にあうか、
注意深く観察しているからです。

私の場合は、終戦後、東大を卒業して
生まれ故郷へ帰ったところ、
蒋介石から派遣されて台湾の行政長官として赴任してきた
陳儀という将軍が稀に見る腐敗した悪政を布いたために、
二・ニ八事件という自治を要求する暴動が起り、
罪のない人たちが1万人も虐殺されました。
当時、まだ23才だった私は正義感に燃えていましたので、
どうしても我慢できず、こっそり香港に渡って、国連に
「台湾の将来を決定するための人民投票を促す請願書」を
送り、またこっそり台湾に戻っていました。
国連に駐在していたAPやUPの通信員たちが
「台湾の民間政治団体が独立運動をはじめた」という
ニュースを流したので、
台湾の参議院の議長が反駁文を書き、
それが新聞の第一頁にデカデカと載りました。

誰がそれをやったか
まだわかっていませんでしたからよかったものの、
もしそれが露見したら、生命はありません。
私は取るものも取りあえず、台北から飛行機に乗って
香港に逃げました。
当時パスポートなしで行ける外国は香港しかなかったし、
香港はイギリスの領土で、
国民政府の指令が届かないところだったので、
私は何とか一命をとりとめることができたのです。

内地人と呼ばれた私の学校友達の中には
そういう窮地まで追い込まれた人は1人もいません。
とりわけ戦後の日本には
言論の自由があるようになったので、
何を喋っても危険が身に及ぶことがなくなりました。
日本人は亡命をする必要もないし、
亡命とは何かを実感する立場にすらおかれていません。
それだけしあわせな日本人ですから、
亡命者に同情できないとしても無理はありません。
しかし、日本人が
そんな立場にいることすら知らない亡命者が
広い世界にはまだまだわんさかといるのです。


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2002年6月10日(月)

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