第1016回
台湾がシリコン・アイランドになったわけ

ブエノスアイレスに行っても、
ヨハネスブルグに行っても、
台湾からの移民がたくさんいますが、
台湾の人たちが一番たくさん住んでいたのはアメリカでした。
でしたというのはこの数年で、
大陸がそれに入れかわったからです。

昔は日本が一番でしたが、
日本はなかなか外国人を入れなくなりましたし、
日本に来てもビジネスで成功するチャンスはあまり多くないし、
また日本の社会にすんなり受け入れてもらえないからです。

アメリカに住む台湾の人がふえたのは、
中共に攻め込まれることをおそれた国民政府の要人たちが
自分たちの子弟に逃げ道をつくってあげるために、
アメリカ留学の特例を設けたからです。
同じ条件を充たしておれば、
要人の子弟でなくともアメリカ留学ができるようになったので、
台湾の親たちは外省人、本省人たることを問わず、
自分の子供たちをアメリカ留学に送り出すことが
できるようになりました。

親たちは「自分たちはもう年だから仕方がない。
けれど、いつ中共に攻め込まれるかわからないから、
お前たちは二度と台湾に帰ってくるな」
と子供たちに言い含めて台湾から送り出しました。
大学を卒業してもアメリカにとどまるためには
エンジニアなどの特種技術を身につけるよりほかありません。
ですからアメリカ留学生の9割方が
コンピューター関係の大学に行きました。
それらの人々が卒業後悉く
アメリカのコンピュータ会社に就職したので、
一頃はどこのコンピュータ会社でも台湾人を追い出したら
会社が成り立たなくなると言われたほどです。

帰らない積りだったこれらの人々が
台湾の民主化によって故郷に帰ってきて、
コンピュータのパーツ工場を続々とつくったために、
台湾があッという間にシリコン・アイランドと
呼ばれるようになったのです。
それらの人々がまた工場をところもあろうに
中国大陸に移すようになったのですから、
世の中どこがどうなっているのか見当もつきませんね。


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2002年12月21日(土)

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