第1384回
江副浩正さんは本当に頭のいい人でした

リクルートの創業者だった江副浩正さんとは
30何年のつきあいがあります。
江副さんがはじめて私の家にお見えになったのは
昭和44年のことで、
当時、リクルートはまだ小さな会社でした。
私は江副さんの独創性を高く評価し、
将来、お金が儲かるようになったら、
なるべく土地を資産として持つように
アドバイスをしたことがあります。

まさか江副さんが本業のほかに
リクルート・コスモスに手を出し、
社会的な功を急ぎすぎて
政界をまるごと巻き込んだ
政界疑獄事件の主人公になるとは思いませんでした。
私はリクルート・コスモスの株は
もらいませんでしたが、
もしもらっていたら、
どんな配分の仕方をしたかきいたと思います。
私なら危いから思い止まるようにと
アドバイスした筈です。
何しろ政界を流れる水は濁っていて、
株を配った上にさんざ毒づかれたのですから。

私は約半世紀に及ぶ文筆生活で
ずいぶん色んな人とお目にかかりましたが、
私の印象に残っている
日本で一番頭の回転の早い人が2人おります。
1人は田中角栄、もう1人は江副浩正です。
何しろ田中さんは
私がまだ何も言わないうちから私の肩を叩いて
「わかった」と
私の言いたいことをあてたくらいですから。
もう一方の江副さんは何十億円の商談でも、
私が電話口で話しただけで
すぐその内容を理解して
ゴーの合図をしたことがあります。

それほどわかりの早い人が
人生の出世街道のトップまで登りつめながら、
大きく足を踏みはずしてしまいました。
して見ると頭の回転のいいことは
その人の人生を安泰なものにするとは限りません。

「ですから、皆さん
もっと頭がよかったらなどと考えないで下さい。
いま程度の頭でちょうどいいのです」
私が講演でそういう話をすると
ドッと笑い声が湧いてきます。
それほど頭のよかった江副さんが
「かもめが翔んだ日」
という回顧録(朝日出版社刊)を書いて
私に1冊贈ってくれました。


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