第1400回
北京のイタリア料理店の名前も決まり

イタリア料理のシェフは見つからなくとも
店は必らずひらくのだと決めてしまったので、
北京に行く度に
クラブハウスの中を丹念に見てまわり、
店の改造をする図面まで
何回も頭の中に描きました。

イタリア料理に使うスペースは
応接間もバーもとてもお金をかけて
豪華にデザインしてつくったので、
イタリア風の雰囲気を出すために
叩きこわしてしまうのは
如何にも勿体ない気がします。
ついこの間も北京から東京に帰る当日、
飛行便が午後だったので、
朝の9時から12時まで現場にとどまって
何とかならないものかと
立ったり坐ったり歩きまわったりして思案しました。

その結果、ひとつのアイデアが閃きました。
現在のフィレンチェやミラノの
気軽に入れるレストランのことばかり考えるから
軽量のデザインばかり頭に浮んできますが、
北京はマルコ・ポーロが700年前に訪れた
オリエント最大の都市だった筈ではないか。
王宮はともかくとして、
マルコ・ポーロが連れて行かれた
高位高官や豪商の邸はどうだったか、
その雰囲気を出せば、
いまの北京に住む現代のマルコ・ポーロたちも
喜ぶのではないだろうかと思ったのです。

そう思った途端に、
最近、私が夢中になって蒐めている
中国の古い家具のコレクションが
一挙に生き返ってきました。
あまりたくさん並べても目障りですが、
何百年もたったものをそれとなく置いておけば、
古い中国の絢爛豪華さが蘇ってきます。
まさか花嫁の駕籠や彫刻で飾られたベットまで
並べるわけには行かないでしょうが、
紅と金を基調とした配色にすれば、
東方見聞記のムードは出てくるのではないでしょうか。

東京に帰って
「マルコ・ポーロは本当に中国に行ったのか」
という本をもう一度ひっくりかえして見たら、
マルコ・ポーロの通称は
「万」(イル・ミリオーネ)と言って
ヴェネチアのポーロ家の邸宅につけられた愛称
「百万御殿」ともゆかりがあると書いてありました。
よし、これで店の名前を
「イル・ミリオーネ」で決まり、
ということになったのです。


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