第1410回
三峡ダムができれば名所旧跡も沈みます

あと9月から11月までが残っていますが、
10月1日は人民共和国の建国記念日ですから
それから1週間は休みと人の大移動で
団体旅行には不向きです。
したがってスケジュールを組むとすれば、
その前か、その後か、ということになります。

私はあとよりも前の方がよいと思いましたので、
9月下旬に北京→重慶→(三峡下りのコースで)
宜昌まで船で下だり、
宜昌から高速道路で武漢に出て、上海にとび、
10月1日に成田と関西空港に戻る予定を組みました。
三峡下りをするのは12年ぶりです。
12年前は四川省長さんと成都市長さんに頼まれて、
80人の台湾の実業家を連れて成都入りをしましたが、
それが機縁になって
とうとう四川省の経済顧問を引き受けたり、
成都市の目抜き通りに
ショッピング・センターをつくったりしました。

その時、四川省政府のお役人さんが
道案内をしてくれて
重慶から揚子江下りの汽船に乗り込み、
3日3晩かけて武漢に到着しましたが、
私の引率した団体が
三峡下りの船に乗り込んだのをききつけた
安微省合肥市長さんが合肥市から
夜に日をついで宜昌市まで車で駆けつけ、
「ぜひ合肥市にも投資をして下さい」
と船上でPRのフィルムを放映して
企業誘致をやってくれました。
その熱意にほだされて
合肥まで団体を連れて行ったのがのちに
日立建機を口説いて
10万坪に及ぶパワーショベルの工場を
合肥市に建設するきっかけになったのです。

その頃、揚子江に三峡ダムを建設する工事がすすみ、
確かことしで多くの街と名所旧跡が
ダムの水底に沈んでしまうことになっています。
同じ揚子江でも10何年ぶりに下る船は
別の世界へ私たちを連れて行くことになります。
三国志に出てくる張飛の廟とか
白帝城が姿を変えることは
好事家たちにとっては痛恨事でしょうが、
私は人間のやることは捨てられたり、
忘れられたり、古い地層になってしまうのは
ごく自然なことだと思っています。
過去にこだわるより
新しい揚子江がどうなったか見に行くことで
自分を納得させることにしましょう。


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