第1474回
イタリア料理屋はマルコ・ポーロにあやかって

北京の高級マンション
三全公寓のクラブを大改造して、
いまイタリア料理と、コーヒーハウスと、
パン屋とケーキ屋の造作にかかっているところです。
中国人はどういうわけか、
フランス料理屋はあまり性に合わないのに、
イタリア料理は気軽に受け入れています。
麺とギョウザはスパゲティとラヴィオリと
共通していることもあり、
マルコ・ポーロが中国から持ち返ったのか、
いや、逆にマルコ・ポーロによって
中国に持ち込まれたものなのか、
いまだに議論は決着に至っていません。

それどころか、マルコ・ポーロとは一体、何者なのか、
本当にマルコ・ポーロは北京まで行ったことがあるのか、
「東方見聞記」の矛盾した記述を見て、
その存在すら疑っている研究者もたくさんあります。
もともと「東方見聞記」は
あとから書き足したり、尾びれがついたりして、
前後が矛盾しているし、
北京に行ったにしては万里の長城の記述もないし、
西洋人から見たら珍しい筈の
中国女性の纏足やお茶についても
一切ふれておりません。
疑えばキリはありませんが、
コロンブスが西へ向う時も
「東方見聞記」を船の中に持ち込んでいますから、
西洋人の東洋熱をかき立てるにあずかって
最も影響力のあった存在であることは
誰もが認めている通りです。

北京にイタリア料理屋をつくるにあたって、
イタリアの安普請の眞似をするより、
マルコ・ポーロが700年前に
北京を訪れた時に連れて行かれた
富豪の邸のようなデザインにした方が
いいのではないかと考えました。
ちょうど中国の古道具を蒐めている最中ですから、
何百年前の雰囲気を出すのは
そう困難なことではありません。
マルコ・ポーロがヴェネチアに帰りついた時は
ボロをまとって着のみ着のままだったけれど、
ボロを脱いで裏地を剥がすと、
なかからルビーやヒスイやダイヤが
ザクザクと出て来たと言われています。
そのお金でマルコ・ポーロが手に入れた邸は
百万長者の家(イル・ミリオーネ)と呼ばれたと
物の本に書いてあります。
それを読んで、イタリア料理屋の名前は
イル・ミリオーネで本決まりになりました。
5月に開業しますから、
北京に来た折りはぜひ寄ってあげて下さい。


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