第1513回
日本人の平和呆けもかなりのものですね

イラク戦争の始った時も、
日本の若い人たちで
両国に何の関係もない人たちが
「人間の楯」と称して、
イラクの水道施設や発電施設にたてこもって、
砲弾の的になったことが
新聞で報ぜられたことがありました。
私はそれを読んでて
とても驚いたことを憶えています。

戦争がはじまったら、
どこの国でも難を避けて
家財道具を荷車に載せて逃げまわったものです。
それ以外に生命の助かる方法がなかったからです。
イラクでは戦争になっても
逃げる人の姿があまり見られませんでした。
イラクの人に限って
戦争をこわがらなかったからではありません。
逃げると家財道具ごと
家を政府から没収されたからだそうです。
逃げるに逃げられなかったのですね。

そういう人に同情したのかどうか知りませんが、
平和な日本に育って
ドロボーや誘拐の心配すら知らない日本の若い人が
わざわざ「人間の楯」になりに行くのは
どういう心境なのでしょうか。
もしかしたらそういうことをすることによって
弱い者に味方したり、
正義感を充している積りになっているのでしょうか。

幸にして生命の危機に曝されないですんだので、
社会問題、政治問題をひき起すまでには
至りませんでしたが、
もしあそこで砲弾の犠牲になっていたとすれば、
この間、誘拐された3人の若者と
どれだけの違いがあるのでしょうか。

もし自衛隊の派遣に反対なら、
なぜ戦争に無知な自国民が
戦場に乗り込むことに反対しないのでしょうか。
手ぶらで乗り込む人は
武装をして乗り込む人たちよりも
ずっと危険に曝されているのです。
私が反対党なら
先ず無辜の自国民が
戦場に近づかないように呼びかけます。
政府なら
「危いから近づかないで下さい。
 政府は本当に何もしてあげられないんですから」
と声を大にして警告を発します。
50年も戦争と無縁になってしまった日本人は
上から下まで平和呆けをしてしまいましたね。
それまでは好戦的な国民だと
アジア中から思われていた日本人だったのに。


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