第1538回
媽祖は気象情報の創始者です

遅くなりましたが、
この前の福州、厦門(アモイ)への旅行は
予想をこえる素晴しいコースでした。
いつも北京からはじまって
上海で終る行程ですが、
あいだの3日か4日は
いままでに行ったことのない地区を目指します。
厦門を選んだのは北京大学のバイオ事業部が
かねてから私に
自分たちの工場を見てもらいたいと言っており、
一ぺん、現地を見ておかないと
気がすまないという気持が強かったからですが、
それ以上に気にかかっていたのは
航海の神様媽祖の総本山に
顔を出す必要を感じていたのです。

いま華僑とか華人と呼ばれている
本土以外に住む中国人は、
台湾の人たちも含めて
5千万人とも6千万人とも言われていますが、
その大半は福建省と広東省の出身者です。
これらの人たちがどうして海外に出たのか、
それはどういう命令になっていて、
どうしてそうした経済力を持つようになったかは、
福建省と広東省を先ず海岸沿いから見てみないと
正しく理解することができません。
岩山と不毛の地が海岸まで迫っていて、
付近の住民は魚をとって生活するか、
海の向うまで出稼ぎに行く以外に方法がなかったのです。

魚をとりに行くためにも、
あるいは海を越えて東南アジアや
アメリカまで出稼ぎに行くためにも
航海が安全であることが何よりも大切でした。
いまのような気象情報のなかった時代ですから、
いつどこで台風が発生するかも予知できなかったし、
無事目的地に到着できるか、
魚をとってちゃんと帰って来られるかは
それこそ神頼みでした。
そうした時代に、州島に生まれて
ほとんど無口だったために
黙という名をつけられた女性は
子供の時から気象の変化を予知する霊感を
生まれながら備えていたに違いありません。
だからいま船を出してよいとか、
出してはいけないとか、正確な予言をしたので、
神技として人々を驚かしたのです。
その死後、神様として祭られ、
海外に出て成功した多くの人々の信仰の対象として
崇られるようになりましたが、
いまの言葉で言えば、
気象情報の創始者と言ってよいでしょう。
この神様を抜きにして、
華僑の歴史もアジアの歴史も語れないのです。


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