第1552回
「一生書生」と「綾錦何をか惜しむ」

いま私が凝っていることの一つに
金言名句のコレクションというのがあります。
額に入れて、自分の家の玄関とか、
応接間とか、書斎に掛けておきたくなるような
名文句を選び出すことです。

自分の好きな名文句を
自分の好きな書家に書いてもらって、
毎日、飽かずに眺めるということは
心を豊かにしてくれるし、
また生きて行く上の戒めにもなって、
生活の糧として大へん役に立ちます。

現に東京オフィスの私の部屋には
「一生書生」という額がかかっています。
どんなに年をとっても、
また社会的地位のある人になっても
学生時代の一途な生き方を持ち続けることが
大切だという意味です。
私は月に1回、定期検診のために
お茶の水の順天堂医院にかよっていますので、
その度に学生時代、赤門に通学した
お茶の水から本郷に向う道を通ります。
昔はバスになかなか乗れなかったために
徒歩で15分もかけて歩いた道を
いまはロールス・ロイスでゆっくりと走りますが、
私自身はいまでも角帽をかぶって
歩いている錯覚を起します。
少くとも精神的にはあの頃から
大して成長しているとは思っていません。
毎日、自分に言いきかせていることを
「一生書生」という文句にして、
自分の部屋に掛けているのです。

またオフィスの応接間には、
まだ小説家として駆け出しだった頃に、
小石川関口台町にあった
佐藤春夫先生のお宅に伺った時、
先生が私の前で書いて下さった色紙が飾ってあります。
「綾にしき何をか惜しむ。
 惜しめただ君、若き日を、いざや折れ花よかりせば、
 ためられば、折りて花なし」
という春夫詩抄の中にも出てくる漢詩から
翻訳された詩句です。
佐藤春夫と署名してあっても
それに気づかない人が多くなりましたが、
ちょっと覗いただけで、
「おや、大へんなものがありますね」
と感心して下さる方も珍しくはありません。
日本はいまでも
書の文化が生きているお国柄だと
私は考えています。



- 一生書生 -

んなに年をとっても、
また社会的地位のある人になっても
学生時代の一途な生き方を持ち続けることが
大切だという意味です。
※書のご注文は「金言名句」をご覧ください。

 


←前回記事へ 2004年6月9日(水) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ