第1742回
中国の経済発展を見事に当てたけど

その半面、日本の工業化が進んで
次々と付加価値を生み出して行く過程で、
労賃が大へんな勢いで上昇して行ったのと、
円高によって輸出に不利に働くようになったのとで、
生産基地としての日本の地位は
年と共に魅力を失うようになりました。
それでも省エネとか省力とか、
生産性をあげる必死の努力によって、
日本の産業界はコスト・アップを避けて
今日に至っていますが、
そうした努力にも自ら限界があります。

私はやがて日本のメーカーが
コスト・ダウンのため
海外展開をせざるを得なくなると考えて、
その引っ越し先がどこになるかと、
東南アジアじゅうずっと見てまわりましたが、
ちょうど共産主義体制の限界につきあたったケ小平が
思い切った方向転換をやろうとしているのを見て、
日本に定着していた「付加価値」が
次は中国大陸に大移動をするだろうと確信しました。
周囲の人たちはあまり賛成してくれませんでしたが、
私はそれ以外に移動していく方向がないと考えたので、
ケ小平が改革開放政策を打ち出す半年前に、
はじめて台湾の実業家たち40名を引率して
上海、北京へ乗り込みました。
殆んど一番乗りだったせいもあって大歓迎を受け、
大陸投資のトップを切ることができましたが、
だからと言って中国投資に
大成功したというわけではありません。

人より早く失敗することは失敗し、
人より早く授業料を払ったというのが実感です。
ですから人に自慢のできるほどの業績はあげていませんが、
今日のような中国経済の発展を
正しくキャッチしたという点では
少々ばかり先見の明を誇ることができるかも知れません。
でも自慢ばかりしてもおられません。
なぜならば、
私の予想がはずれたこともたくさんあります。
一つはソ連がシベリアの開発のために
日本の協力を要請し、
日ソ関係が改善されると思ったこと、
もう一つは日本が稼いだドルでアメリカに進出し、
ウエストコーストが第二の満州になると予想したこと。
二つとも全くの空振りで
三振でなかったのがせめての慰みだった
ということもあるのです。


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