第1743回
ソ連とアメリカは知らない世界でした

日本が貿易黒字によって
莫大なドルを稼いだ時、
私は世界中の国々が日本のドルを狙って
日本の顔を立て、
日本と誼しみを結ぶだろうと
早回りをして考えてました。
そのためソ連が4つの島の返還を要求する日本に
その見返りとしてシベリア開発の資金協力を要請し、
それが機縁でアジアの新体制が
展開されると踏んだのです。

一時期、日ソ間にそういう動きもありましたが、
結果的に見ると、それは私の早とちりにすぎませんでした。
もちろん、ソ連の国内事情もあったのでしょうが、
日本人や中国人の心理は読めても、
ソ連は基本的に私の未知の世界であり、
その屈折した反応を
私が読み切れなかったというよりほかありません。
私に言わせると、日本人の悲願と裏腹に
北方四島は日本人にとって
さして経済価値のあるものではなく、
また海産物などは日本人にとって
ほんのはした金で買えるものですから
むしろ4つの島が日本人の思う通りにならないことによって
国内輿論の統一ができて却っていいのではないかと
その後、思うようになりました。

もう一方のアメリカについても、
日本にドルが天文学的数字で貯まりはじめた時、
この勢いで日本人の手にドルが移れば、
そのお金で日本人はアメリカの不動産や企業を
手に入れることが可能になる、
とりわけウエーストコーストでは
日本の銀行がアメリカの銀行を次々と買収したり、
目立った建物や新開地を次々と買い漁って、
かつて満州で一敗地に塗れた野心を
実現できるのではないかとさえ思いました。

しかし、実際に起ったことは、
広大なアメリカの土地は
日本人の手の及ぶところではなく、
また世界の通貨の発行権をもたない日本が
アメリカのしたたかな通貨政策に対応できるわけもなく、
ほとんどの対米投資が失敗に終わって
生命カラガラ日本に逃げかえったことは
皆さんご承知の通りです。
ソ連に比べてアメリカならよく知っている積りでも、
日本人にとって
実は想像をこえる未知の世界だったことを改めて、
それも高い授業料を払って、
認識させられたのです。
それもそんなに昔のことではありません。


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