第2091回
イタリア男では目標になりませんね

どの「おじんのおしゃれ」の雑誌を見ても、
ページをめくる度に、
SEXYという言葉がでてきます。
写眞を見てなるほど
見惚れるなあというのならいいのですが、
うしろから団扇であおぐのが目立つだけですから、
どうしても食傷気味になります。
たまにファッション・ショーに立ちあって
いつも思うことですが、
きれいなモデルが着ると、
どんなデザインの服でもきれいに見えるんです。
ですからイタリアのおじんが着たから
セクシーに見えるという心配は
はじめからないのは当り前なのです。

もっとも編集部の狙いは
もともと別のところにあるのかも知れません。
あんなイタリアのクソジジイでも
うまく着こなしているのだから、
オレが着たら
もっとずっと見映えがする筈だと思わせるために、
イタリアおやじを起用しているのなら、
それだけの効果はあります。
イタリアはファッション・ビジネスの中心地ですが、
「紺屋の白袴」というように
産地の人はどこも質素なカッコをしていて
着飾った人なんかいません。
そういう人を目標にしろというのでは
場が白けてしまいます。

どこの国にも着る物に執着する人と
どうでもいい人がいます。
着ることに執着する人の意見をきいたり、
その人たちのために
デザインしているデザイナの意見をきいたり、
あるいはその作品を見せてもらうのは
役に立つことです。
とりわけこれはいいと思う
ジャケットやシャツやパンツを
どういう具合にしてうまく着こなすかは、
私たちのような、
「関心はあるけれど通ではない」人にとって
大へん参考になります。
おしゃれ雑誌のいいところは、
「もう一度見たからわかった」
というのではなくて、
何回ひらいてもはじめて見たような新鮮さがあり、
昨日見た時には気がつかなかった新しい発見が
今日はあるということです。
なかでも自分の知識の中になかった
ファッションのニューフェイスが登場してくると、
そちらを向いただけで新しい風が吹いてきます。
流行というのは
新しい風のことだということがわかります。


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