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第2242回
栗田春生バンコックに死んで水処理業興る

牢屋から出てきた栗田工業の栗田春生さんは、
もはや栗田工業に戻ることもできず、
持株をすべて一株37円でイトーチュに譲り、
日本を離れてバンコックに行くことになりました。
いま栗田工業の株は一株が2500円になっていますが、
創業者が下りた時は50円額面の株が
たったの37円だったのです。

栗田さんがバンコック下りをしたのは、
さんざ新聞ダネになって
日本ではもはや思いっ切り羽がのばせなくなったこともありますが、
多分、栗田工業の仕事の延長線上でやるのはタイ国ならいいと
本社から内諾を受けていたからではないかと思います。

私はできることなら台湾でやってもらいたかったのですが、
台湾は前回にも述べたように
設備にお金をかけるよりも
罰金を払って先延ばしにする人が多かったので、
どこも援助には乗らないだろうと
悲観的な見方をしていたので、
積極的にすすめる氣にはなれなかったのです。

栗田さんは予定通りにバンコックに赴いて会社をつくり、
社員募集をすると、チェラロンコン大学の卒業生がドッと集まり、
前景氣はよかったようですが、
台湾よりはまだ遅れたところですから、
やがてヒマをもてあますようになり、
日本料亭で使う紫蘇の畑いじりをやっているとききました。
ところが或る日、
そこで働いていたタイの少年を叱りとばしたところ、
持っていた刀でいきなり刺殺され、
とうとう不帰の客になってしまいました。

あれからもう20何年の歳月がたってしまいましたが、
日本では栗田工業とオルガノが
水処理専門の会社として不動の地位を築き、
最近は大陸にも進出して
無錫のあたりに工場も建設するようになりました。
もちろん、まだ着工したばかりで、
大きな実績をあげていませんが、
中国の経済成長が
汚水処理や環境保全対策を必要とする時代に入ったことを
証明しています。
中国もいよいよ環境汚染が社会問題になる時代になったのです。


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