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第2417回
陳水扁は台湾独立運動の志士ではありません

ところが、台湾人の間で独立運動がはじまったのは、
私が独立運動をあきらめてからあとのことでした。
蒋介石が死んで蒋経国の時代になり、
もはや大陸に戻れないと悟った蒋経国が
台湾島内の民主化に着手したからです。

先ず多くの台湾の青年がアメリカに留学に行く途がひらかれたし、
台湾島内では依然として戒厳令の布きっぱなしでしたが、
海外に出た若者たちは魚が水を得たように
元気で台湾独立運動をはじめたのです。
それが全島的に爆発をしたのが
高雄からはじまった美麗島事件です。
この時、デモに参加した人たちが
独立運動の志士として牢につながれ、
その時に弁護に立った弁護士の1人が陳水扁だったのです。
ひどいめにあったのは
のちに民進党を組織してヘッドになった人たちであって、
陳水扁ではありません。
陳水扁はいつも雨に濡れない傘の中にいたのですが、
民進党を代表してはじめて総統になったのは
牢屋に入らなかった人気スターの陳水扁だったのです。

私は既に政界から遠ざかって20何年もたっていましたので、
自分が主宰する雑誌にも中立を要求したし、
自分自身も中立の立場を崩しませんでした。
むしろ将来、中国大陸と台湾が交渉をする時期が必らず来る、
その時に台湾が自分たちの立場と利益を
主張できる環境づくりが大切だと常々考えているので、
中国大陸の所得水準の上昇に力を入れる側にまわりました。
どうしてかというと、
中国大陸と台湾の所得水準があまりにもかけ離れすぎると
親近感がなくてうまく交渉が進まないことを怖れたからです。

そういった意味では台湾の人たちに独立志向が強いことは
それなりに交渉の有力な切り札になります。
李登輝さんの時もそうでしたが、
陳水扁が2004年に初当選をすれば、
ちょうど立派な切り札になると私は読んでいたのです。
ところが、もう四年間も権力の座に就いた陳水扁は
大陸には背を向けたまま、
汚職まみれになっていたのです。
それが露見したのはファースト・レディーの
商品券の安売りがきっかけになっています。


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2006年10月22日(日)

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