中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第2547回
「世界の工場」の次に何が来るか

ケ小平が中国の社会体制の舵を
分配中心から生産中心に切り換えた時、
「これで付加価値で勝負をするビジネスは
日本から中国へ移るだろう」
と私は直感しました。
ですからそれまで何回も
中国大使館から大陸訪問を誘われながら躊躇していた私は
自分の判断の正否を確かめるために、
生まれてはじめて北京や上海を訪れました。
もう19年も前のことです。

どうして私がそういう考え方をしたかというと、
日本の経済発展は日本人の賃金をアメリカと並ぶ水準まで押し上げ、
更に生産性を上げる以外に
コスト高を避けることができないところまで到達してしまった――
と私が見るようになっていたからです。
そのおこぼれが台湾と韓国に流れ込み、
いわゆるニーズの国々の経済成長を促していましたが、
その例からもわかるように、
生産コストがあまりにも高くなりすぎると、
生産基地は賃金の高いところから
安いところに移る可能性を持っています。

恐らく次の引越先は中国じゃないかと私は考えました。
中国人はよく働くことと物づくりの能力があることでは
日本人に劣りません。
政治体制がブレーキになっているだけのことで、
それさえ排除されれば、
戦争直後の日本人のおかれた立場に似ています。
あとは資本と技術ですが、
ケ小平は4つの経済特区に海外の資本と技術を導入して
10年にわたってテストをしたので、
それをそっくり国全体に拡げて実行に移せば
工業化のエンジンは直ちに稼動をはじめるのです。

経済特区はたったの4ヵ所でしたが、
改革開放政策に踏み切ると、
何と全国に500ヵ所も開発区(日本で言う工業団地)ができて、
一せいに、世界中から工場誘致するため
客引きに血道をあげるようになりました。
日本の30分の1の低賃金でいくらでも集まってくる中国の労働力は
学歴も低く、訓練もされていないから物にならないだろうと
バカにした企業も少くはありませんでしたが、
いまになって見ると、「先手必勝」が現実になってしまいました。
あッという間に中国は「世界の工場」になりましたが、
その次に何が起るかを想定した進出企業が
はたしてどれだけあったでしょうか。


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2007年3月1日(木)

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