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第2648回
資産インフレで青山通りの地価が100倍

資産インフレがどういう形で起り、
そしてバブルと共に消え去ったかを少しふりかえって見ましょう。
私のオフィスは
東京の青山通りから2つ奥に入った裏通りにあります。
買った時は坪当り30万円で、表通りの角地は一坪が50万円でした。
角地が売りに出た時、私はとても欲しかったのですが、
物書きが本職でそれなりにプライドがあって
銀行の支店長のところに頭を下げに行くのが嫌だったので、
とうとう手に入れるチャンスを見逃してしまいました。

間もなくビルが建って銀行の支店が入りました。
すぐ坪当り100万円になったとブローカーからきかされました。
やがてそれが300万円に値上がりをし、
「あの時、銀行の支店長に頭を下げたらよかったなあ」
と悔やんでいたら、
日本国中に過剰流動性のきざしが見えはじめて、
あれよあれよと言っているうちに
一坪が千万円になってしまいました。

そんなことで驚いていてはいけません。
本格的な資産インフレに突入すると、
青山通りの表通りは一坪1億円になってしまったのです。
角地は3割は高いと言いますから、
50万円が1億3千万円になったのです。
もちろん、私のオフィスも30万円が3千万円になりましたから、
百坪で世間の評価は土地代だけで30億円です。
明治通りや原宿や代官山で買った不動産も
一せいに値上がりしましたから、
銀行は私も物持ちの一人に勘定したのでしょう。
色んな銀行が来て、なかには
「5百億円くらいご用立てしますが、いかがですか」
と誘いをかけてくれた銀行もありました。

でも私はそんな話には一切乗りませんでした。
もしその時、話に乗っていたら、
私は恐らく倒産の憂目を見ていたでしょう。
私がその話に乗らなかったのは、
私に投資に対する原則があって、
その原則からはずれた儲け話には乗らなかっただけのことです。
大へんな見識を持っていたわけではありません。
投資から得た収入で借金の元利合計が支払えなければ、
私の心が動かなかっただけのことです。


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2007年6月10日(日)

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