中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第2998
「昨日大名、今日乞食」と歌ったことも

昭和39年、戦後で最大の不況に見舞われたことがあります。
もう今から40何年も前のことですから、
このコラムを読んでいる方で
まだ生まれていなかった人がたくさんいるのではないかと思います。
山陽特殊鋼が破産したり、
潰れかかった山一證券が日銀の特融を受けたりして、
私がコンサルタントをやっていた30社の上場会社や証券会社のうち
17社の社長さんからコンサルタント料のストップを
じかに宣言されたことがあります。

もちろん、株は大暴落しましたから、
私もそれなりに被害を受けましたが、
私は自分が打ち出した株式投資の三原則、

(一)証券会社のセールスマンの言うことをきくな。
(二)ダウ平均に惑わされるな。
(三)借金をして株を買うな。

を忠実に守っていましたから、
破産するところまでは追い込まれませんでした。
でもコンサルタントとは
会社が困った時に相談に乗る仕事だと思っていたのが、
税務署にやるくらいならあの人にくれてやれと言う
バラマキの対象だということがわかったので、
私は他の13社にもこちらから辞退する旨お断わりをして
自分のオフィスまで他人に賃貸して、
自分は家にひっこんで、
1年ほど歌謡曲の作詞づくりに打ち込みました。
橋幸夫の「恋のインターチェンジ」も
三沢あけみの「南国の花」もその頃の私の戯れの産物です。

1年のうち3枚レコードを出して2枚がヒットになったので、
確率は高いとプロの人たちから誉められましたが、
本当は100曲くらいも書いて3枚だけがレコードになったのです。
レコードにならなかった歌は1週間に1回、
文化放送で30分ほど時間をもらって電波に乗せました。
その中には「兜町の歌」というのもあって
「昨日大名、今日乞食」と
北島三郎さんに声を張り上げて歌ってもらったものもあります。
中国株は信用買いができないので、
乞食になる心配はありませんが、
兜町で信用買いをやると
全財産を失った上に破産宣告を受けることもあるんです。
いま中国株が大下がりに下がって
頭を抱えている人がたくさんいるでしょうが、
乞食にはなっていないのですからまだ再起可能です。


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2008年5月25日(日)

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