中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3282回
今は昔、終身雇傭制と年功序列給

いまは失業が社会的な大問題ですが、
大正から昭和にかけての戦前は
失業はごくありふれたことでした。
「大学は出たけれど」と
歌の文句になるほど失業は当り前だったので、
都会へ出て職探がしをしても
職にありつけなかったインテリは田舎へ帰って
畑仕事の手伝いをするのが珍しくありませんでした。

百姓をやってもろくに飯にありつけない状態が続いたので、
好戦的な雰囲気が強くなり
満州事変、日中戦争、第2次世界大戦と続いたのです。
そういう時代の日本を正当化する論調が
いまも続いていますが、
いまは失業しても失業保険をもらえるし、
失業保険が失効しても飢死することが先ずありませんので、
時代が違うといってよいでしょう。
こういう時代の職探がしと
農業社会だった時代の職探がしは
自ら違うと考えるべきです。

失業の多かった時代には
自分の職を守る必要がありましたから、
サラリーマンは自分の職を大事にしたし、
また就職先に忠実でした。
いわゆる愛社精神が日本的雇傭の美風になったのも
そうした環境がもたらしたものだし、
事業体が年功序列給で社員を優遇したのも、
またその簡単に首切りをしなかったのも、
人材の確保と技術の温存に大きくプラスしました。

しかし、賃金が安くて、
製品が国際競争に耐えられた間は
それが日本的経営として賞讃の的になりましたが、
際限もない賃上げ闘争が続くと、
同じシステムが企業の重荷になって、
企業の存在をおびやかすようになると
私は何回も警鐘をならしました。
終身雇傭も年功序列給もやがて崩壊すると見て、
独立自営の志ある人の途中下車を薦めましたが、
企業がどうやってこのピンチを切り抜けるかについては、
自分がその立場にいないこともあって
これといった知恵を出すことができませんでした。
そうこうしているうちに、
やがてバブルが崩壊してピンチに遭遇した
日本の企業界が選んだ道は正社員を減らし、
派遣社員でそのアナ埋めをすることだったのです。


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2009年3月5日(木)

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