中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3587回
地場産業はひょんなことからはじまる

「日本人が大規模農業の開発をするなら海外で」
と言ったらびっくりする人が多いかも知れませんが、
農業は自分の生まれた所でやるものと
決まっているわけではありません。
もちろん、土地がなければ農業はできませんが、
グローバル化の時代になると、
どんな農業をやるかが先で、
それに適した農地がどこにあるか、
それは外国人にもやらせてもらえるかどうかを先ずたしかめて、
条件が合えば、それから行動を起せばいいのです。

いわゆる地場産業は昔から土地にあったものではありません。
篤志家がいて、どこかで勉強したことだとか、
思い立ったことを、或る地域ではじめたのが事業として実って
その地方を潤おす事業に成長したものです。
最近で言えば、コンピューターのパーツ・メーカーは
台湾を俗にシリコン・アイランドとあだ名づけるくらい
台湾の新竹市周辺に集中していますが、
もとから台湾にあったものではありません。

たまたま台湾に逃げ込んだ蒋介石の国民政府を
中共が攻撃するのを怖れて、
国民政府の要人たちが自分たちの二代目を
アメリカに逃がすために、
兵役の義務のある若者がアメリカに留学できる
特例をつくったのです。
その狭い逃げ道を台湾人もうまく利用できたので、
息子たちを留学させる親たちは
「自分たちはもう年だし、どうなってもかまわないが、
お前は二度と台湾に帰ってくるな」
と言いきかせて留学に出したのです。
海外からの留学生が
アメリカにとどまることのできる唯一の条件は
エンジニアの資格をとることでしたから
留学生の90%が新しく勃興したコンピューター関連の勉強をし、
卒業と共にIBMやアップルやマイクロソフトなどに就職したのです。

一頃、アメリカのコンピューター関連の会社から
台湾人を追放したら
会社が成り立たなくなるんじゃないかと言われるほど
どの会社にも台湾人がウヨウヨしていました。
まだ規模の小さかった会社は
パーツをアウトソーシングに出せなかったので
台湾の青年たちがその生産に従事していたのです。


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2010年1月4日(月)

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