中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3847回
私がお金儲の先生にされたきっかけ

長谷川伸先生がなくなっても、
長谷川先生の弟子たちは先生が生きていた時と同じように、
元旦になると長谷川邸に集まり、
先ず先生にお祝いの杯をさしあげてから、
皆で新年を祝うことを、奥様が他界するまでずっと続けました。
私も最後までおつきあいをしました。

その足で毎年、佐藤春夫邸にも挨拶に行きましたが、
最初の1年、2年はともかく、
年を経る毎に来る人が減り、
とうとう私たちがベルを押しても玄関は真っ暗で、
誰もいないようになってしまいました。
奥さんもあきらめて正月の用意をしなくなってしまったのです。
何度もベルを押すと、女中さんがあわてて出て来て、
「邱センセイがお見えですよ」と大きな声で奥に声をかけます。
するとふだん着のままの奥様があわてて
「まあまあ、忘れずに本当によく来ていただきました」
と駈足で出てきます。

正月の用意はもう何もなくなったので、
センセイの仏壇のある2階の
昔の先生の部屋に案内してくれます。
暖房もしていないので、あわててガスに火をつけ、
それから私たちがお線香をあげるために蝋燭に火をつけます。
黙って私たちより先に線香をあげればいいのですが、
奥様はわざと声を出して、
「あなた、見えますか。
邱さんと奥さんがわざわざ見えて下さったのですよ」
と口に出しておっしゃるのです。

うちの家内は長谷川先生の本も佐藤春夫先生の本も
1冊も読んだことがないし、
どんな本を書く人か私が説明したこともありませんが、
挨拶が終ってそとへ出て自分の車に乗るや
「やっぱり純文学は駄目ね。
わかるでしょう、やっぱりナニワ節ですね」
と言うじゃありませんか。
私はびっくりして思わず家内の顔を覗き込んだことがあります。

さて話が大分長くなりましたが、
私が「お金儲けの先生」にされたきっかけは
或る正月に誰も来なくなった佐藤春夫先生のお宅に挨拶に行って、
たまたま私と同じように正月の挨拶に見えた人と偶然、
顔を合わせたことからはじまっています。
全くの偶然ですが
偶然というのは本当に何をもたらすか、わからないものですね。


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2010年9月21日(火)

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