中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3846回
やっぱり股旅物の教え通りですね

それでも直木賞をもらうと、一応は名も知られるし、
世間の扱いも違ってきます。
これも先輩の先生方のおかげですから、
正月になると、私は毎年、家内と娘を連れて
正月の挨拶廻わりに出かけました。
私は田園調布に住んでいましたので、
道順として港区になる明治学院の正門前の
長谷川伸先生のお邸に先ず顔を出し、
次いで小石川区の関口台町の鹿島組の社長と隣り合わせの
佐藤春夫先生のお邸に挨拶に行き、
そして、最後に練馬区石神井公園の檀一雄さんの
400坪も敷地のあるお邸にころがり込んで
夜遅くまで酒のお相手をして、それから家へ帰りました。

どこの家も千客万来で、
長谷川先生のところは歌舞伎や新団劇の役者からナニワ節語り、
さては落語家まで群をなして次から次へと挨拶に来るし、
佐藤先生はご自分でも
門弟3000人とおっしゃっていたくらいですから、
それらの作家たちの中に割り込んで
家内と娘と私の3人分の座布団を明けてもらうだけでも
容易なことではありませんでした。
また檀さんは檀さんで、
夜が更けるほど飲み友達が集まって来ますから、
終電車がなくなりますと断わりを言って
席を立たせてもらうまでが大へんでした。

それほど文士の親分たちの正月は賑わいを見せていましたが、
私が文士の端っくれとしてご挨拶に上がった頃は
長谷川伸先生も佐藤春夫先生も既に70才をこえていましたし、
檀一雄さんはこれまた大酒飲みで、
昼と夜を引っくり返したような生活をしていましたから、
間もなく3人とも他界されてしまいました。
お3人ともなくなってしまいましたが、
はじめのうちはご本人がなくなっても
先生方のところへは正月になると
弟子たちがボツボツと挨拶にまいります。

私たちは両先生のお邸には奥様がおなくなりになるまで
ずっと毎年正月の挨拶に行きましたが、
2年たち3年たつうちに
長谷川先生のお邸と佐藤先生のお邸では
来客に大きな変化が見られるようになりました。
長谷川先生のお邸は
浪花節に謳われるような義理人情の世界を題材にしているだけに
弟子たちの新年の挨拶は奥さまが他界されるまで続きましたが、
佐藤先生のお邸では年と共に挨拶に来る人が少しずつ減って、
とうとう私たち以外にはほとんど誰も来なくなってしまったのです。


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2010年9月20日(月)

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