中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第4178回
石油ショックがアメリカを裏方の道に

第一次石油ショックが起ってから、
もうかれこれ40年の歳月がたちました。
1バレル2ドルだった石油がいきなり12ドルまではねあがって、
日本のような石油輸入国は1年で外貨を食いつぶして、
次の年は寒空にふるえるようになると
新聞が一せいに書き立てました。

それに対して、私は
「そんな心配はない。
産油国が輸出して受け取った外貨を
黄金に換えて沙漠の砂の中に埋めるのなら、
そういうこともあり得るけれど、
アラビアの王様たちが病院を建てたり、
水不足を解決するために海水を真水に変える装置をつくったり、
また自分たちで贅沢三昧の生活をしたかったら、
先進国から物や技術を買うようになる筈だ。
日本は工業国だから、石油を輸入して
ナイロンやテトロンを生産して輸出しています。
原料が値上がりすれば、
製品もその分だけ値上げすることになりますから、
アラビアの国々は壁に向ってテニスをやっているようなもので、
強く打てば強く返ってくるだけのことです。
ですから心配はありません」と反論しました。

もちろん、石油がいきなり6倍に上がったら大へんなことです。
人々は買占めに走り、トイレット・ペーパーさえ
スーパーから消え去りました。
しかし、日本の産業界は国をあげて省エネルギーと省力化に走り、
この時のショックを契機に一段と成長して世界中から
認められるようになったのです。

資源貧乏国のこうした対応に対して、
アメリカは自国に石油資源があるにも拘らずドルを印刷して
産油国から原油を買いまくりました。
というのも自動車メーカーは省エネに全く無用心で、
小型車をつくる代わりに大型車の生産を続行しました。
というのも小型車は1台につき500ドル、中型車は700ドル、
これに対して大型車は1500ドルの利益があり、
ちゃんと売れている大型車を
儲けの少い小型車に切りかえる必要を全く認めなかったのです。
時代の変化に対するアメリカの対応の仕方が
アメリカの産業化に衰徴の道をひらくことになった、
と見ていいのではないでしょうか。


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2011年8月18日(木)

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