知的財産ってわかりますか・中村佳正

無から有を生みたい人、必見

第38回
パテントマフィア暗躍!?

パテント『マフィア』とは、これまた物騒なネーミングですが、
最近は『パテントトロール』とも言われています。

現在のプロパテントの潮流が、
1985年に発表されたヤングレポート以降としますと、
1987年にはカメラのオートフォーカス特許で有名な
「ハネウェル事件」があり(和解金166億円)、
90年代には米国の個人発明家がビデオゲームの特許に基づいて
日本のゲーム機器メーカーを訴えて
57億円の賠償金が支払われるなど、
小規模な特許管理会社又は個人発明家による特許紛争が
米国を中心に活発になりました。
こうした人たちは、自身は物を作らずに
大企業から多額の賠償金や和解金を取っていましたので、
一部から「パテントマフィア」とも呼ばれて非難されました。

アンチプロパテントの時代には特許にならなかったものも、
プロパテント時代になると
特許になってしまうケースが目立ってきたため、
訴訟でも侵害が認められやすいに違いないと、
彼らはここぞとばかりに大企業に攻勢を仕掛けます。
1990年当時、
破竹の勢いで米国に進出していた日本企業も例外でなく、
彼らにとってのよいカモとして
狙い撃ちにされたこともあったようです。

彼らの典型的なやり方は、次の通りです。
まず、手持ちの特許、他社による実施状況などを入念に調べ上げて、
何十社、何百社に対して警告状を一度に送付します。
もちろん、どんな企業に送り付けるかも検討済みです。
そして、反応があった会社から順次交渉を開始し、
直ぐ裁判を起こしてしまう場合も少なくありません
(最終的には和解金がお目当てなのですが)。
裁判は米国で提起されますので、
日本企業にとってはやっかいな話になります。
そうして、1社でも和解が成立すると、
それを実績として他社への交渉圧力をさらに強めます。
時には、時限通告を行い、
「何時何時までに和解に応じれば実施許諾料は2%でもいいですよ。
でも、それ以上ごねるのでしたら、5%になります」
といった揺さぶりをかけます。
90年前後の日本企業は、
商売そのものがうまくいっていたこともあり、
数億円程度で済むのなら裁判にかかる巨額な費用よりはマシと、
次々と和解に応じました。

特許をネタとして大企業と渡りあった米国の人たちには、
エジソンに次ぐ特許取得数を誇るレメルソン氏や、
リファック社の副社長だったフィリップ・スパーバー氏、
ワンチップマイコンの個人発明家として知られるハイアット氏など、
大勢います。
いずれも数百億円規模のお金をせしめた(?)人たちです。
個々のお話しについては、また別の機会にご紹介致します。


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2007年11月15日(木)

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