第56回
日本の技術者の将来は?
前回は、中村修二さんが渡米されるまでの経緯を
簡単に追いかけました。
こうした中村さんの一連の活動は、
会社にとって面白いはずはなく、
渡米されると企業秘密情報漏洩のおそれがあるという理由で
中村さんを訴えました。
すぐに職務発明の争いも生じて、これらは何年も続きます。
前回の冒頭で申し上げた和解で、
一応の決着をみたということができそうです。
他方、ある意味では中村修二さんと似たような境遇にあり、
また別の意味では対照的な面をお持ちとも言える、
同時期に大変話題になった日本人研究者がおられます。
ノーベル化学賞を受賞された田中耕一さん(島津製作所)です。
現在は、ノーベル賞受賞科学者としての活動もこなされながら、
会社が設立した
『田中耕一記念質量分析研究所』の所長をしておられます。
テレビや雑誌でごらんになった方も多いと思いますが、
田中さんは、大変控えめかつ誠実な方です。
職場の後輩の指導にあたっても、常に懇切丁寧であると聞きます。
私などは、テレビで田中さんを拝見したとき、
日本企業で頑張られて受賞されたことに深い感銘を受けました。
なんと言っても、
米国は、今でも多くの学術分野においてトップですし、
日本で頑張り続けることの難しさを私なりに理解していたからです。
とはいっても、日本人には日本人の個性があります。
また、これまでの国の発展の仕方やその後の停滞を振り返りますと、
得意分野/不得意分野がありそうです。
同時に、日本人の長所が充分活かせるような、
これからの課題は数多くあるのではとも思います
(環境問題もその一つかもしれません)。
話は戻りますが、中村修二さんの場合は、
研究で陽の目を見るようになった途端に
ハンコ押しの役ばかりやらされるのが厭になって、
米国に活路を見出されました。
一方で、ご自身が青色発光ダイオードの研究がしたいと
創業者に直訴されたとき、
何億円も予算をもらうと同時に
海外留学させてもらったことも事実です。
日本の企業(特に、中小企業)には、
良いところがまだまだ残っていると思います。
結局、中村修二さんも田中耕一さんも、
それぞれ適所を見出されて
ご活躍になっておられるということだと思いますので、
個性を活かして伸び伸びと力を発揮できる場所を見出せるよう、
私達も自らチャンスを掴んでいかねばということですね。
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